EKAKINOKI

カラヴァッジョは歴史的事件

Caravaggio(Michelangelo Merisi) 1571-1610

穴のあいた腹部に指をさしこむヤツ。品がない妖しげなナイト(騎士)。馬に踏みつぶされる若者。首に突き刺さった剣。ゲイ。それはカラヴァッジョがじっさいにじぶんの人生のなかで見てきたものの延長であったにちがいない。

もちろんあの当時、生きていればどこかしらで目にするような光景だったんだろう。でもなにもよりすぐってそんな殺伐とした光景ばかり描く必要なんてのもなかったはずだ。カラヴァッジョほどの腕と出世運に恵まれた男なら、もっといくらでもひとに気に入られるようなものを描いてたってちっともおかしくない。

そこにはたしかに、現実を美化することを嫌ったカラヴァッジョの性格がある。しかしもしかするとそれ以上に、絵画そのものが、みずからの発展のためにまさにそういう激しい光景を必要としたんじゃないか。そして天才的な資質をもったニンゲンがあらわれそれを実現した。

ただひとつここで、天才は、その資質が必要とされる歴史的タイミングとか、ありとあらゆる偶然(必然?)を独り占めにする運がいいヤツでなければならない。たんに資質だけで天才という歴史的脚光はけっしてあびない。(歴史に埋もれた天才は数え切れないほどいるはず。)

カラヴァッジョがなんであんなにショッキングな絵ばかり描いたのか、それを性格やら美術史やらからいくらでも考察はできるとしても、、しかし詰まるところカラヴァッジョは歴史のひとこまを具現したそうした天才のひとりなのであり、つまりカラヴァッジョは「歴史的事件」なんだとおもう。

歴史的事件は、じつにさまざまな要素がある瞬間、ひとところに引き寄せられて起きる。なにかひとつの要素がちがってもけっしておなじことは起き得ない。というよりおそらく、ふだんからそこらにころがっている要素が、特殊な選別をする磁石に引き寄せられでもしたかのように、ひとつの「事件」となる。

「事件」には「いい事件」もあれば「悪い事件」もある。カラヴァッジョにしても社会的にネガティヴな要素をたくさん抱かえた人間だった。それが美術史における記念碑的な「事件」につながったのだから、その「妙」にはいたく感心する。というより、、人生には「コトとシダイでは・・」っていう不定要素がいつもつきまとってる、ってことか、、、、、

(2001.07.18.)(2002.03.20. 見直し)(2002.08.28. 見直し)(2005.10.31. 加筆)

※ ファイル中の画像: 『アレキサンドリアの聖カテリーナ(部分)/1597年/Madrid, Fundacion Coleccion Thysen-Bornemisza』

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