Caravaggio(Michelangelo Merisi) 1571-1610
カラヴァッジョは癇癪持ちというか、犬のおしっこのようにあちこちで安いけんかを売ったことで有名だ。未成年のうちにすくなくとも2回は刑事ザタを起こしている。なかでも決定的だったのが、古式テニスの最中に起きたけんかだ。賭けでもしてたん?刺した刺されたで、相手のひとりが死に、カラヴァッジョはローマを逃げ出す。そののちナポリ、シチリア、マルタと放浪、ようやっと教皇の恩赦がもらえそうになってローマにかけつけようとしていた矢先、ある浜辺で高熱に打たれてのたれ死に。享年39。
ざっとこれがカラヴァッジョの人生。あのときケンカをしてなきゃ・・・とおもう?しかしおそかれはやかれおなじような事件は起きてただろう。それに、カラヴァッジョ本人は「あのときケンカをしてなきゃ・・・」みたいな後悔をするタイプじゃなかったから、あの事件があってもなくても、浜辺で野垂れ死にするような肉体の酷使はなかったにしても、カラヴァッジョの人生にさほど大きな変化があったとも、「カラヴァッジョという史実」に変化があったとも、おもわれない。
そしてカラヴァッジョのすごさは、すぐさま同時代のほかのアーティストたちが意識的無意識的に引き継いでいく。レンブラントだってそうだ。絵画の歴史はカラヴァッジョを契機に大きく転換し、ほんとうの近代に突入していく。カラヴァッジョと同時代に生きていたバリオーニとマンチーニ(1558:Siena-1630:Roma)が、伝説ではないほんもののカラヴァッジョについて書いている。
ところでカラヴァッジョ家は、スフォルツァ家につながる貴族の系譜だった?紋章(ふつうのイタリア人は家紋なんてない)も封土(ベルガモ、クレモナ、ブレーシャのあいだ)もあった、カラヴァッジョは個人的にもスフォルツァ家の庇護を受けてた、家系には教皇に近い聖職者もいた、いつもまんざら頼るひとがいた、ガハハ、どうでもいいけどよ。
カラヴァッジョの母親は、建築家だった父親の2度目の結婚相手。父親には娘ふたりの連れ子があり、カラヴァッジョの異母姉妹になった。父親はカラヴァッジョが6歳のときに他界(1577年)。カラヴァッジョは17才まで、ミラノのペデルツァーノという画家のところで見習いをしていた。1590年に母親が他界。土地を売り払ったお金が手に入るとカラヴァッジョは聖職者の叔父を頼りに一途ローマに向かった。1592年、カラヴァッジョ21才。
カラヴァッジョは、当時ローマ随一だったアルピーノ工房で仕事をしている。取り巻きはカラヴァッジョに輪をかけて血気盛んな連中。まあ、そういう時代、だったのかもしれない。ホモな関係だって当然あったろうが、またそこから精神的な高揚・刺激も受けていたということも忘れてはならないとおもう。そしてそこから人脈は教皇庁へとつらなっていく!
カラヴァッジョの足跡をたどりながらの体験記(日本語)
http://pure.cool-rock.com/caravag/index.htm
カラヴァッジョ消失作品に焦点を当てた愛好家サイト(イタ語)
http://xoomer.virgilio.it/onino/index1.html
彫刻サイトだけどカラヴァッジョについて, Roberto Marini(英語・イタ語)
http://www.thais.it/speciali/Caravaggio/default...
カラヴァッジョ作品 (Web Gallery of Art)
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/c/c..
(2002.02.10.)(2002.08.21. 点検)(2003.07.31. THAIS.ITのリンク追加)(2008.04.05. やっつけ)