Sergio Perosino 1925-2000

昨年(2000年)11月、ペロジーノは会議でスピーチをしていた。そこでペロジーノは、ジャーナリストの質疑にいつもどおり心あたたかく答えていたはずだった。
ところが、同席していたペロジーノの妻には、なにかがいつもとチガウようにかんじられた。ペロジーノは、一生懸命的確な言葉を探してもがいてでもいるかのようにかんじられた。そのためか・・身ぶりが不必要におおきくなっていた。
ともかくジャーナリストの質疑が終わり、ペロジーノの作品がスライドで映写された。その最中、坐っていたペロジーノは崩れ落ちた。それから2日後に、ペロジーノは逝った。
最後に会ったのがその年の9月21日だった。以前は猟に釣りにと出かけていた屈強な大男が、なにかの手術をしたということで、「散歩さえ以前のようにはしなくなった。」とこぼしていた。でも見かけは元気そのものだった。ヒューマニストで、聞くもののこころをとらえてはなさないあたたかさ、寛容さ、いつまでも尽きることがない好奇心・・
使い始めたコンピューターを前にして、「メールを受け取るのには、いつもインターネットにつなげていなくてはならないの?」などと聞いた。『えかきのき』を見て笑いながら、「あぁ、これお気に入りに入れる!」と言った。覗き込むようにして、「いったいなにが書いてあるのやら・・!」
『画家 セルジョ』と、家の前に表札をかかげたガキの頃と、なーんにもかわっていない!
それから2ヶ月半・・突然の訃報だった。2000年12月2日、セルジョ・ペロジーノ逝去。とてもとてもいい友達を亡くした。慎んで冥福を祈ります。
セルジョへのオマッジョ
星がまばたいては消えていく。
また、どこかであたらしい星が輝きはじめる。
ほんの一瞬、
すぐそばで輝いて、消えていった星は、
こころのなかに、
なにかとてもよいものを残していった。
(2003.02.02. 点検)
「(Artolina di Denver)」 60 x 70 cm / / ペロジーノの図録と手元にあったペロジーノの著書のひとつ。
※ 今秋(2001年)スペイン、来春(2002年)にトリーノで、セルジョ・ペロジーノ回顧展が催されます。