かつて、フランスとイタリアにまたがるアルプスに山国があり、ヨーロッパ諸国とすったもんだの駆け引きをし、中興の祖(ヴィットーリオ・アメデオ:Vittorio Amedeo II di Savoia 1666-1732)がいて、つまりどこにでもありそうなごちゃごちゃした歴史を経て近代まで生き延び、1861年、その国の王がイタリア国王となった。・・・サヴォイア公国。
ところで、サヴォイア公国の首都トリノからジェノヴァは電車で一本。トリノだけではない。トリノがあるピエモンテ地方の山のなかの町からも2両連結のジェノヴァ行き直通がでていたりする。なんなんだ、、、
ジェノヴァは古来商業が盛んな町だから、しかもサヴォイアにとって唯一の海への出口だから、、電車が直接つながっていてもなんのフシギもない。それともサヴォイアの領土と関係あんのか、、?
しかしジェノヴァがジェノヴァ共和国でなくなったのはナポレオンのときで、サヴォイアがジェノヴァを併合したのはナポレオン後(1815年)。それまで、サヴォイアとジェノヴァはまったくべつの国だった。
あっそうか、、、鉄道ができたのはそれよりあとだから、2両連結ジェノヴァ行き直通はやっぱサヴォイアの名残りか。
サヴォイアに海に接している領地がなかったわけではない。ニース。しかしトリノからニースに直接出るまともな道はない。どうしてもいっぺんジェノヴァを通んなきゃならない。(当時もたぶん。)そのニースも含めたサヴォイアのフランス側所領は、イタリア統一のドタバタでフランスに割譲してしまった。
1796年のサルデーニャ王国北イタリア側の地図
http://www.lib.utexas.edu/maps/historical/sheph..
(Perry-Castan~eda Library Map Collection)
サヴォイアは、サヴォイア公国だけでは王家ではなく公爵家。スペイン継承戦争(1701-14:だれを王位につけるかの争い)でシチリア王国を得てから、王さまに格上げされた。
そしてそれから7年後、不満たらたらのスペインがまた騒ぎを起こし、騒ぎをおさめたオーストリア・ハプスブルク家はサヴォイアにサルデーニャ王国をあてがって、みずからはシチリアを得る。
サヴォイアはサルデーニャをもらって、ぜんぶ合わせてサルデーニャ王国となるが、サルデーニャは王さまの格に貢献しているだけで、ナポレオンが攻めてきたときの避難所となったほかは、たいした産業もなくオマケ状態。統治の中心はあくまでトリノがあるピエモンテ地方だった。
まあ、、ピエモンテ地方にサルデーニャ・ルーツの人間が多いことの説明にはなってるな。。
(2005.04.21.)