シエーナ(SIENA)
外部からのアクセスがいまだに不便で、だから昔のままの雰囲気がそのまんま残っていて・・・そんな町はイタリアじゅうにある。しかし、実際にひとびとが生活をしていて、町の規模もそれなりに大きくて・・・となると、、あんまりない。
シエナは丘の上に美しくもコンパクトにまとまっている。反対側の丘から見たドゥオーモはまさに「小パリ」。路の両サイドにそそりたつ美しい中世建築はまるで映画のセッティングさながら。こりゃ〜テーマパーク!
ドゥッチョ・ディ・ブオンインセニャ(1260-1318)、ロレンツェッティ兄弟(1280/90-1348)、シモーネ・マルティーニ(1284?-1344)、ベッカフーミ(1485/86-1551)・・・このシエナ派の画家たちもおなじ路地を歩いていた。ロレンツェッティ兄弟が死んだ1348年は、シエナを強烈なペストが襲った年だ。
丘の上の町シエナは、水源を確保するために、町の下にもうひとつの町、「水路の帝国」を作った。水は高いところから低いところに流れる。だから高低差をつくればいい。微妙な高低差をいくつもつくって水の流れをだましだましつ、さいごは丘の上まで水を引くという中世の技術は、想像しただけも気が遠くなる。
1500年代、シエナはフィレンツエとの18ヶ月におよぶ攻防に破れ、フィレンツェのメディチ家に実権を奪われた。「町のほうぼうにあった塔を、フィレンツェ人はことごとく崩しやがった。」・・・今もシエナ人はボヤク。
イタリアの町の美人コンテストをやったら、、シエナは総合点で、やっぱりイチバンだとおもう。
ピアッツァ・カンポとパリオ
シエナの中央広場、ピアッツァ・カンポ。
広場の扇型が9つに分かれているのは市政を担った9人委員会の象徴。
夏・・・「パリオ」は、このけっして大きくはない広場で行われる。・・・ 「パリオってナニ?」「中世の衣装をまとってする競馬」
コーナーは直角にカーヴ!どんなに群集が埋めつくしても、どこからでも360度見渡せる・・・この広場はそのようにつくられている。騎士はサルデーニャなどからやって来る。
すごいお祭りだけど、競走そのものは数分で終わる。日本だと「みこし競争」?シエナに生まれたものにとって、パリオはたんなるお祭りではない。命!!
Il Palio di Siena 17 settembre 1972 / Lanfranco Orsatti
http://www.arengario.net/momenti/momenti40.html
(Arengario.net)
ドゥオーモ
この教会の外壁に埋め込まれた石のひとつに、以下のようなラテン語の文句が記されている。そのためにこの石はけっして取り除かれることがない。
SATOR
AREPO
TENET
OPERA
ROTAS
右上のRから・・下にむかって読んでも、左にむかって読んでも、おなじように読める。左下のRからでもおなじ!
シエナへのアクセス
電車は・・・フィレンツェからは一時間おきぐらいにでていて所要時間は1時間半。イタリアによくあるチマチマした路線。ピザからもまわれる。いずれにしても乗り換えがあるので、バスのほうが便利。バスは・・・アレッツォから、フィレンツェから、、、いろいろ。
※ 文中では、慣習化している「シエナ」にしておきましたが、イタリア語では「シエーナ」と発音されます。
■ パペッセ現代アート美術館をパリオ博物館にするという物議
■ シエナ派の画家についてふれているファイル
■ 目で見るシエナ派の画家たち
★ シエナのかんたんマップ
■ SIENA APT シエナの総合案内サイト(旅行会社のサイト)
(2000.10.25.)(2004.11.04. 見回り)