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モザイクのラヴェンナ

Sant'Apollinare in Classeだれだったっけ?だれだったかアブストラクト(だとおもったけど・・)のアーティストがラヴェンナの「モザイク」に感動したとかいうのを読んで、それでラヴェンナ参りをしたことがあった。

ダンテ・アリギエリはフィレンツェを追放されたあとここで「神曲」を書きあげ、モザイクにも感嘆していたみたいだけど、でもダンテじゃなくてぇ、、、ジャコメッティが感動したのはジョットだったしぃ、、ああもうおぼえてないや。

ラヴェンナには、かつて西ローマ帝国の首都があった。ゴート族の王国もあった。それでこんなすっごいモザイク装飾がここにあるんだけど、、

でも行ってみると、なんともちっちゃな町だった。海(アドリア海)に面しているといっても、入り江は浅瀬になったのか、遠い昔から港としての機能はほとんど果たしていないみたいだし、どこにでもある海に面したイタリアの地方都市って、そんなかんじしかしなかった。

→ ラヴェンナのかんたんマップ

ここ↓に、そのラヴェンナのモザイク画像がいっぱいはいってる!ひたれるぐらいはいってるよ。(解説は英語)
http://www.hp.uab.edu/image_archive/ulj/uljc.html
(University of North Florida)

サン・ヴィターレ教会(Basilica di San Vitale)は、、夏だったけど、お昼ちょっと前だったせいか、あんまりひともいなくて、だだっぴろい教会内がやけにひえびえとかんじられた。教会のかたわらの草むらには中世の石棺が散在していて、おもわずタイムスリップ。

サン・ヴィターレ教会の脇にあるのがガッラ・プラチディア廟(Mausoleo di Galla Placidia:プラチディアはイタリア語読み=プラキディア)(※1)。ところで、ガッラ・プラチディアってだれだ?!ホノリウス帝とか、なんかききなれない皇族らしきひとたちのなまえがここではいろいろでてきます。

ローマ帝国が決定的に東西に二分したのが、テオドシウス1世が崩御した395年です。東と西の皇帝に就いたのは亡き皇帝のふたりのこどもたち。そのうち西の皇帝になったのが次子ホノリウス(※2)です。ガッラ・プラチディアはホノリウスの妹で、かなりやり手だったみたい。というよりホノリウスがあんまりたいしたことなかったのかな。

西ローマ帝国は476年にゲルマンの傭兵隊長オドアケルに滅ぼされたので、けっきょく100年もつづかなかった。よぶんなことだけど、、ほんとはこのあとがおもしろい。

オドアケルのおやじはヨーロッパを席巻したフン族王アッティラの宰相だったとか、そののち東ゴート王テオドリックに対して3年間ラヴェンナにたてこもったとか、共同統治という条件で開城したもののけっきょく殺されちゃったとか、、、

あそこらのひとは、みんなそんなこんなの子孫なんですねぇ。。。

(2001.04.19. 「ビザンチン美術」より分割)

※1 「故人の意志により遺骸は防腐処置をほどこしてラヴェンナに運ばれ、あの石の柩の中に安置された。遺体は千年以上もの間誰の手にも触れず、帝位をまとった彼女の姿を柩の小さな穴から見ることができたという。1557年のある日、不注意な観覧者がもっとよく見ようと、蝋燭の火をその穴に近づけた。屍衣に火がつき、あっというまに遺体は灰燼に帰した。」

※2 養鶏という変な趣味に熱中するこの皇帝は・・・ローマ帝国がどうなろうと自分の身の安泰さえ確保されればそれで結構・・・宮廷をミラノからラヴェンナに移したのも、潟(ラグーナ)と風土病に守られたラヴェンナのほうがずっと安全だという、ただそれだけの理由にもとづいていた。

いずれも、藤沢道郎著 『物語 イタリアの歴史/第一話皇女ガラ・プラキディアの物語』より

かんれんファイル

■ ビザンチン美術とルネサンス

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