EKAKINOKI

インスタレーションを拡大解釈

installation左の写真は、光を使ったイタリア・トリノ市での屋外インスタレーションです。(『アーティストの光2000』〜2001.01.14.)こういうインスタレーションが市内のほうぼうでなされ、それらをめぐるトクベツなバス路線が設けられていました。

クリストとジャンヌ・クロードというアーティストは、ビルや自然を、まるごと布で包装(!)したりします。丑久保健一(うしくぼ けんいち)さんという木彫家は、大きさがサーカーボールぐらいで、へこみがあるまあるい木を何百とつくり、それを大平洋に流して、一年後におなじ場所に帰ってくるという壮大なインスタレーションをやったことがありました。

現代アートのなかで『インスタレーション』は、『ある状況に作品を組み込むことによって、その状況にあらたな意味を与える』みたいな狭義な意味で一般的には理解されています。でもアートはそもそも『インスタレーション』ではないか・・・という気もします。

courbetルネサンス時代に描かれた絵であっても、当時の社会状況にたいしてなんらかのリアクション(反響)を引き起こす起爆剤であったはずです。また、時代的にはそろそろマネやモネらが登場しはじめようというころ、ギュスタヴ・クールベ(1819-77)という画家はきわめて日常的なテーマを描きました。『リュックを背負ったクールベさんコンニチワ!』などのように、色気もなにもないテーマの選択は、いま見てもかなり清烈です。

クールベがこれらの作品を発表したのはまだドラクロワやアングルが健在だったころで、もしかりに・・・「このような作品を展示することによって引き起こされる社会的反響」までひとつの作品として考えれば、これはもうギンギンのインスタレーションと言えますね。のちにマルセル・デュシャン(1887~1968)がパリのサロンに「便器」を出品しようとしたときとおなじぐらい、エキサイティングな行為であったとおもいます。

建築物だって、ある特定環境へのインスタレーションでありうるわけですよね。。インスタレーションとはつまりそういうことなのではないでしょうか?「神話や宗教」のかわりに「身のまわりのもの」をテーマや素材にするようになり、「絵や彫刻」のかわりに「わたしたちを取り巻く環境そのものをいじくる」ようになった、、、つまりなに、あれ、、アートはより自由になったって、そんなふうにおもえるんですがぁ、、、

※ ファイル中の画像(下)「Bonjour, Monsieur Courbet (1854)」 - Musee fabre, Montpellier

かんれんファイル

■ マルセル・デュシャンにふれているファイル
■ 丑久保健一
■ クールベについて(参考リンク)

かんれんサイト

直島コンテンポラリーアートミュージアム
サイト内『直島通信』には、インスタレーション作品『文化大混浴』の蔡國強氏インタビューなど興味深い記事。(Vol1-No.2.1998.9.)
http://www.naoshima-is.co.jp/art/tushin.html

(2000.12.14.)(2003.04.07. 見直し)(2004.07.22. 見直し)

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