身のまわりのものを作品の素材としてとりあげるのはたのしい。それはなによりもまず、だれにも共通なイメージにうったえかける。
身のまわりのものを素材としてとりあげるというのは、しちめんどくさいさまざまな考えをいっぺんチャラにして、それをぐっと手元にたぐり寄せ、そこにシニズム(皮肉)まで盛り込んでしまうといった、逆説的でエキサイテシングな経験だ。
ところで日常的な素材というのは、トイレトペーパーや草木や食べ残しの料理や着古された衣類ばかりではない。身のまわりにウジャウジャとあるテクノロジーや機械も、あきらかにそのひとつとして考えることができる。
次のリンク先はLEDカウンターを使った宮島達男氏の作品。
http://www.operacity.jp/ag/exh05.html
(TOKYO OPERA CITY)
ただ・・テクノロジーや機械を素材としてとりあげるためには、まずアーティストが具体的な機械の機能を知っていなくてはならないし、見るひとにそういう知識が不足していると、作品を直感的に理解できなかったり(たとえば作品に込められたジョークとかを)、とかいうことはある。
コンピューターのプリンターや携帯電話ならまだしも、生活のなかでごくふつうに使われていても、ふだんは背後に隠れていてちょっと見慣れないシステムだったりすると、ちょっとわかりにくいかもしれない。
一般的にインスタレーション作品(=現代アートという言葉でみんなが想像する作品)のほとんどは、ごく身近なモンダイ意識にもとづいて、ごく身近な素材を使って表現され、きわめて共通なモンダイ意識と笑いを提供している。
作品に込められている意味は、説明を聞きながら作品を見ればある程度分かるもので、具体的に作品を作り上げたアイデアはごくごく日常的なところから出てきている。美術館ではそっけない顔をしているかもしれないけど、、インスタレーション作品は本来そうした共感たっぷりなヤツなのだ。
(2003.04.07.)(2004.07.22. 点検)
■ だれにもできるインスタレーション
■ ボイスとパイク
■ インスタレーションを拡大解釈すると・・
ミンチカさん
宮島達男作品って、映画マトリックスみたいね。