ヘンリー・ゲルツァーラー(Henry Geldzahler 1935-94)は、1960年代ニューヨークのアートシーンを演出したメトロポリタン美術館のキュレーター。ひょうきんな面立ちのゲルツァーラーはいろいろなアーティストのモデルにもなっている。
ゲルツァーラーを描いた絵
http://www.artnet.com/Magazine/reviews/zinsser/zinsser..
以下、引用部分は『ザ・シーン(PARCO出版)
ゲルツァーラーさん、どうしたらアートの先が読めるのですか?
(引用)
それはなんといっても腹の底にかかわることなんですね − ガッツの反応。それがほんとうにぼくをあわてさせるようなものであれば、これはいいものだとわかる。それから記憶に残るということもありますね − 無理なく思い出せればいい。そして3番目に、何度か見つづけるうちに、作品から新たに、おのずとたちあらわれてくるものがあるかどうかということ − それが時間のなかで存在しうるかどうかということです。
(引用おわり)
もうちょっと具体的に言ってくださいよ〜
(引用)
ぼくは、ロバート・インディアナとかトム・ウェッセルマンとかマリソールとかの、最初に全部を語ってしまうような作品にはそれほど興味ないんです。だけど、エドワード・ホッパーのようなアーティストのばあいは、これは!という向こうから認知をせまってくるようなすごいショックがまずあって、その魅惑がずっと継続するわけですね。
(引用おわり)
ゲルツァーラーは「ポップ・アート」ののち「色彩抽象」に向かった。「色彩抽象」はバーネット・ニューマン、マーク・ロスコ、クリフォード・スティルらのながれがさらに発展したもので、「カラー・フィールド・ペインティング」とも呼ばれ、モーリス・ルイス、ノーランド、ステラ、さらにヘレン・フランケンサーラー、ジュールス・オリッキーなどへとつらなっていく。
こんなかんじ↓(Helen Frankenthaler)
http://www.abstract-art.com/abstraction/l2_Grnfthrs_fldr..
あなたとほとんど二人三脚状態だったウォーホルについてなにかひとこと!
(引用)
アンディはいつでも、自分がやっていることを多少なりとも正確に自覚しており、自らの欠点をみごとに逆手にとって利用しつづけているけれど、彼はほんとうのところは出来事を操作しているのではない。アンディは本質的に視姦者にとどまり、ものごとにそれぞれの道をたどらせて関心をもつけれども自らはかかわっていかないというクールな距離をおいて見ているだけなのだ。
(引用おわり)
(2005.06.23.)