Le Mystere Picasso / 1956
原題は『ピカソの神秘(ピカソ ミステリー)』。ピカソが即興的に、何枚かの作品を仕上げていく。スクリーン上には、刻々と表情を変えていく作品だけが映し出される。
それでもほんの数回(ほんの束の間)、撮影の段取りについてピカソと撮影スタッフのあいだに短い会話がかわされる。その瞬間的な会話から、いくつかのことがおし測られる。・・ピカソは、あんなにも『クセ』がないひとだったんだ・・。まずそのことにおどろかされる。
ピカソは、かなりスペイン語訛りがはいったフランス語を話していた。そのかぎりにおいて、その他大勢のスペイン人とどこもかわるところがない。ピカソがとても身近に感じられて、すこしいい気分。
ピカソが発っする言葉には、あまり感情的な重みがかんじられない・・ふだんはどこか地中深い住処(すみか)に住んでいて、喋る必要がある瞬間だけ地上にふわぁ〜っと浮かびあがってきて、必要最低限の言葉を発っしているみたいに感じる。・・これ、画家によくあるタイプ。
映画のなかでピカソと言葉をかわすクルーゾー監督は(出演者でもある)、おそらく絵画とそれほど個人的な接触がないようにおもわれる。つまらないところで妙に感心していた。どちらかというと、『ピカソ』をつかってショウを遂行している典型的なフランス人ビジネスマンといったほうが、この映画に関するかぎりはあたっている。
ピカソが、なんらかの透明なスクリーン上にインクで絵を描いていく。それをカメラが裏側からとらえる(つまり作品の左右はぎゃくになって映し出される)。いくつかカンタンなものを描き終えたピカソが、それだけでは物足りなくなってくる。「いつものように油彩で描きたい。」とピカソが言った。映画の後半に映し出される作品は、おそらくピカソの背後から撮影していたのだろうとおもう。(ピカソはコラージュもつかっていた・・。)
たとえば『横たわった女性』をピカソが描く。
最初はかなり伝統的な『素描』・・!『線』はうらやましいぐらいにおおらかで優しく、喜びに満ちみちている。陰影もりっぱについていて、この素描がかりにピカソの絵にならなくても、ティツィアーノやラファエッロの絵になってもおかしくないぐらいに完璧・・。
それを、ピカソはじょじょに崩していく。なにを崩していくのかというと、じぶんのなかにある『既成概念』だ。『こうしなければならない』『こうするのが当たり前』みたいな思い込みを、ひとつひとつと切り崩していく。
切り崩していってなにに置き換えるのかというと・・・『こどもが絵を描くときの愉しさ』!こどもが、「ここにもう一個太陽をつけ加えて・・お目めはおっきくして・・こっちには木もいれて・・首はこっちに傾けよっかな・・。」
ピカソはそういう無邪気な気持ちをじぶんの心のなかに見い出して、それを大切に汲み出すと、そのひとつひとつをキャンバスの上に再現していく。こういう『たおやかさ』が、作品の図柄や構成ばかりではなく、『ライン』の一本一本にもいきいきとあらわれている。
パブロ・ピカソがどこかで言った有名な言葉のひとつに・・こんなのがある。「こどもの頃はラファエッロ(1483-1520)のように描いていたんだ。こどものように描けるようになるのに、一生かかったよ。」!ピカソのこの言葉がもっている具体的な意味を、この映画はひじょうに分かりやすく見せてくれた。
(2002.09.09.)
※ パブロ・ピカソ(Pablo Picasso 1881-1973)
※ ファイル中の画像はピカソ美術館(Photo by mashiro)
※ 映画「ミステリアス・ピカソ」・・・監督:アンリ=ジョルジュ・クルーゾー / 撮影:クロード・ルノワール