Giovannni de' Medici(1498-1526)
ジョヴァンニの母親はカテリーナ・スフォルツァ(1463-1509)。カテリ−ナは、チェーザレ・ボルジア(1475-1507)とフランス、その背後にいた教皇庁の連合軍を敵にまわしてフォルリ城にたてこもったイタリア史のヒロインだ。
父親は、彼女の何番目かの夫、メディチ家ジョヴァンニ・イル・ポポラーノ(1467-98)で、ジョヴァンニの誕生後まもなく死んでいる。
ジョヴァンニは、血筋は良かったが孤児どうぜんに育ち、幼いころから筋金入りの悪ガキをやっていた。しかしその統率力を教皇庁が利用し、やがて傭兵隊長としての名を馳せ、『黒旗隊(黒隊)のジョヴァンニ』として戦場でおそれられるようになる。
1527年、神聖ローマ帝国をはじめとする外国軍がローマになだれ込み、ローマ市民を混乱におとしいれたローマ包囲(IL SACCO DI ROMA)があった。その前年、南下する神聖ローマ帝国軍は、ゴンザーガ公が支配するマントヴァの郊外、霧がたちこめるポー河畔で、教皇庁・フランスの連合軍と戦火をまじえている。
大砲などの近代兵器が出現したころで、火器にものをいわせる神聖ローマ帝国軍に相対したのが、最後の騎士、傭兵隊長ジョヴァンニ・デ・メディチだった。ジョヴァンニはこのいくさで大砲にあたり、28才の若さで命を落とした。
エルマンノ・オルミ監督の映画「メディチ家のジョヴァンニ(2001年/イタリア)」は、だいたいこのあたりの経緯を、ジョヴァンニ・デ・メディチを中心にえがいている。でも、背景にある政治力学や人間関係はとてもフクザツ。
支配者連中はみな血がつながってるんじゃないかというほど、政略結婚がクモの巣のようにはりめぐらされ、、昨日の敵が今日の味方で、あっちについたかとおもえばこっちにつく。外国勢がイタリアに攻め込んできて、それがまたイタリアのどこかの大公と手を結んでいる。
「君主論」で有名なニッコロ・マキャベッリ(Niccolo Machiavelli 1469-1527)が生きていた時代だ。
ところで、、、マントヴァ郊外の合戦で死んだジョヴァンニはすでに若いパパだった。。妻はメディチ家のロレンツォ・イル・マニフィコの孫娘(Maria Salviati de' Medici)で、ジョヴァンニの遺児はのち、初代トスカーナ大公コジモ一世(1519-74)となった!
(2001.06.27.)(2002.08.08. 見直し)(2004.08.27. 点検)
※ ファイル中の画像: (上) ジョヴァンニ・デ・メディチ肖像(ブロンツィーノ作):ブロンツィーノ(1503-72)・・・・・このほかにも、ポントルモが描いたジョヴァンニ・デ・メディチの肖像画も残っている。 (下) サンガッロ作(Sangallo) Museo del Bargello, Firenze
※ 映画の原題 → 「Il mestiere delle armi」 映画の原作 → 「IL DIAVOLO DALLE BANDE NERE(Federico Orlandi)」
※ 1526年というと・・・ミケランジェロ51才、ティツィアーノ38才、ポントルモ32才、ティントレット7才、ラファエッロは6年前すでに死んでいる。
※ ジョヴァンニとその妻マリア・サルヴィアーティの画像
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■ オルミ監督メモ
■ サン・ロレンツォ広場にあるジョヴァンニの彫像
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