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コンスタンティヌス帝とビザンチン帝国

Flavius Valerius Constantinus I (274?-337/在位:306-337)

コンスタンティヌス帝というのはひじょうに愉快な人物だ!ローマ帝国の混乱を収拾したばかりか、結果的に歴史の構造を大きく変えてしまう仕掛けをいくつもはなった。

コンスタンティヌス大帝

313年、ミラノ勅令でキリスト教を公認!

ダン・ブラウン著「ダ・ヴィンチ・コード(角川書店)」からちょっと引用してみる・・・

コンスタンティヌスはやり手の実業家だったのだよ。キリスト教がのぼり調子だと見るや、単に勝ち馬に賭けたわけだ。・・・・・異教の象徴や暦や儀式を、キリスト教の発展途上の伝統と融合させ、双方が受け入れやすい、いわば混血の宗教を創り出した。・・・・・元来キリスト教はユダヤ教の安息日である土曜日を聖別していたんだが、コンスタンティヌスが異教徒の尊ぶ太陽の日と一致するように変更したんだよ。・・・・・いまでは、日曜日の朝に礼拝に出かける信者のなかに、自分たちが教会に出向くのは、異教の太陽神を祝福する聖なる曜日−日曜日(サンデー)−だからだと知っている人はほとんどいないだろうけどね。

(引用おわり)

コンスタンティヌス帝はキリスト教を公認したばかりではない。それを「どのような形でみずからの帝国に適用していくか」というアウトラインを取り決め、それはそののちのキリスト教の発展に大きな方向性を与えた。以下も同著からの引用・・・

宗教の融合を進めていくうえで、キリスト教の新たな伝統を確立する必要に迫られたコンスタンティヌスは、有名なニケーア公会議(325年)を開催した。・・・・・この公会議で、キリスト教のさまざまな点が議論され、票決がおこなわれた。復活祭の日付、司教の役割、秘蹟の授与、そして言うまでもなく、イエスを神とするかどうかについて。・・・・・コンスタンティヌスは、イエスが神の子であると公に宣言することによって、人間世界を超越した存在、侵すべからざる存在へとイエスを変えた。そのせいで、異教徒がキリスト教に刃向かえなくなったばかりか、キリスト教徒自体も、既成の聖なる窓口、すなわちローマ・カトリック教会に救いを求めるしかなくなったわけだ。

(引用おわり)

330年、ローマ帝国遷都!

324年に新都市コンスタンティノポリス(イスタンブールの旧称)の着工にとりかかり、330年の落成式がローマ帝国遷都元年。あの大帝国の発祥の地である首都ローマを遷都するなんて、よく考えてみると、スゴ〜イ。たんなるマイナス思考による遷都でないとすれば、並外れて柔軟な思考の持ち主というか、なんてヤツだ!

ローマ帝国は395年、東ローマ、西ローマに実質的に分かれ、西ローマ帝国は476年に消滅したが、東ローマ帝国=ビザンティン帝国は1453年、オスマン・トルコに滅ぼされるまで続く。もちろんそこに至るまでの歴史は単純明快ではない・・・

かの十字軍は、オスマン・トルコと対峙していたビザンティン帝国を救援するというより西側の利得を遂行。つまりビザンティン帝国と西側は反目していたということになる。あげくの果ては、ヴェネツィア共和国主導のもとにコンスタンティノポリスにラテン帝国(1204-1261年)を建国して彼らがえらんだ皇帝を擁立した、な〜どなど。

イスタンブールの大聖堂

浅野和生著「モザイク画が語るビザンティン帝国(中公新書 / 2003年)」は、イスタンブールのソフィア大聖堂のモザイクや建築にふれながら、ビザンティン帝国のそこらへんの内実を垣間見せてくれておもしろい。

かんれんファイル

■ モザイクのラヴェンナ
■ 魔女の真相
■ ビザンティン美術とルネサンス

(2003.06.23. MOSCOW)(2006.01.09. 書き改め)

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