ヨーロッパ陶磁器の歴史に一大ショックを与え、その流れを大きく変えたのが中国、日本の陶磁器!マルコ・ポーロ(1254-1324)の「東方見聞録」あたりから、中国磁器の質の高さがヨーロッパで語られはじめました。
1602年、中国磁器を満載したポルトガル船をオランダ人が拿捕。1604年、おなじようにポルトガル船からちょうだいした10万点以上の磁器がオランダに運ばれて競売にかけられ、話がグンと現実的になります。
打てばひびくような中国磁器の透明感に、ヨーロッパのひとたちは夢中になりました。夢中になっただけではありません。質においても値段においても、ヨーロッパの製陶業に一大ショックを与えました。
「中国磁器に対抗できるようなものをつくっていかなくちゃならない。」ドイツ・マイセン、フランス・セーブルの王侯貴族たちは、中国磁器のすばらしさを自分たちの手でつくろうとしました。現在「リチャード・ジノリ」として続いているイタリア・フィレンツェの「ジノリ」もそのひとつです。
ジノリ公爵家は1300年代初期にすでにその名を記されています。リヴォルノの統治者、マレンマの領主・・・ヤギを養育し、おもに羊毛、絹を扱っていました。ジノリ家が陶磁器の製造に関心をもったのは、当主カルロ・ジノリ(1702-57)のときです。彼は「ガラス・織物」をナポリ国王を通して売りさばく一方、リヴォルノ港での漁業技術の指南もしている、進取の気風と科学的好奇心をもちあわせた人物でした。
■ マレンマ地方かんたんマップ
1735年、フィレンツェ・ジノリの館で陶磁器製作の研究が始まります。1737年、製造開始。カルロ・ジノリは凝り性で研究肌のひとでもありました。さらに高名なアーティストたちが「ジノリ」の名を高めていくのに貢献します。
「リチャード・ジノリ」の前身は、このフィレンツェの「ジノリ陶磁器」と、ミラノの会社「リチャード陶磁器」(1873年〜)が合体したものです。正確には1896年、「リチャード陶磁器」は「ジノリ製陶所」ほか、フィレンツェ、ボローニャ、トリーノ、ローマ、ナポリにあったジノリの6店鋪を買収合併しました。「リチャード・ジノリ」の誕生です。
フィレンツェを代表する「ジノリ」が北部イタリアの新興産業に買収されるのですから、これを裏切りととらえ、「ジノリ家」に反対するひとたちもいました。「リチャード・ジノリ」とはたもとを分かち伝統を固守していこうと、別の工房も設立されました。
一方で「リチャード・ジノリ」は近代的設備への投資をさかんに行ない、絵付け作業などの機械化、経営の効率化をはかり、あらたな時代の需要にこたえられるだけの供給体制を築きあげたのです。
(2001)(2004.11.10. 見回り)
※ ジノリ陶磁器の製造が始まったころ(1737年)、フィレンツェではメディチ家最後の当主、トスカーナ大公ジャン・ガストンが逝去し、フィレンツェ統治者にオーストリア・ロレーヌ公がなっています。
※ このファイルは、リチャード・ジノリのオフィシャル・サイト&オンライン・ショップ「リチャード・ジノリ1735」(英語・イタリア語)を参考にしています。
http://www.richardginori1735.com/
ファエンツァ・インターナショナル陶器美術館
http://www.racine.ra.it/micfaenza/
(Museo Internazionale Delle Ceramiche In Faenza) ルネサンス期以降の陶器を展示する陶器美術館。ファエンツァはボローニャから電車で40分ぐらい。電車は1時間に2本ほど。