イザベッラ・デステ Isabella d'Este 1474-1539
イザベッラ・デステは、マントヴァのゴンザーガ家に16才で嫁いだフェッラーラのお姫様。美人、才女・・お好きなだけ美辞麗句を並べていただいて構わないが、外国勢力をも含めた当時のしごく複雑な政治環境のなかで、つねに神聖ローマ帝国寄りの姿勢を堅持するなど、政治感覚もかなりすぐれていた。
イザベッラは、1500年代初頭の代表的コレクターのひとり。ルネサンス最盛期の巨匠たちとイザベッラのやりとりを通して、イザベッラがどんなコレクターだったのかを想像してみるのもたのしい。
マントヴァ・ゴンザーガ城のゆうゆうとしたスペースは、そのむかし、この城で繰り広げられたいろいろな出来事を想像させてくれる。莫大な面積の壁面に、惜しむことなくえがき尽くされたフレスコ画にはおどろくばかりだ。しかし、イザベッラ・コレクションというとき、それはイザベッラ個人があつめ、陳列していた特定の場所をさす。その場所をイザベッラは、『カメラ・ピクタ(ちいさなお部屋)』、そしてそののちに増設したものを『洞くつ』と名付けた。
マントヴァ公ゴンザーガ家のおかかえ画家にはマンテーニャ、そのあとを継いだロレンツォ・コスタ、のちのジュリオ・ロマーノ(ラファエッロの弟子)などがいる。イザベッラが絵をお願いするのは、このマンテーニャにはじまって、ラファエッロ、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ティツィアーノ、ベッリーニ、ペルジーノ、アンドレア・デル・サルト、コレッジョ、ジュリオ・ロマーノ・・・。ところで、イザベッラはどうしてこれほどまでのコレクションをするようになったのだろう?
イザベッラの妹ベアトリーチェ・デステがミラノ・スフォルツァ家の当主イル・モーロと結婚。芸術にひじょうに関心を寄せていたイル・モーロは、当時金回りもよく、衣装、装飾からコレクションにいたるまで、趣味のレベルはひときわ群を抜いていた。イザベッラにしてもデステ家という名門で育ち、嫁入りしたのはゴンザーガ家。それでもスフォルツァ家との『華麗さ』の格差に愕然としたという。
このイル・モーロとイザベッラのあいだには、一時『恋愛感情』があった。手紙が両者のあいだを頻繁に行き来している。となると・・・イザベッラが美術品のコレクションに走るようになったのも、なんとなくうなずけるような気がする。
イザベッラがあつめたのは絵だけではなく、彫刻、骨董、装飾品、おりからの探検ブームもてつだって世界地図。ローマ時代の骨董も大好きだった。マンテーニャがやはり古代遺蹟のどん欲なコレクターで、イザベッラはこの老人から『大切な宝物』を巻きあげたりしている。ラファエッロはラファエッロで、『古代ローマの再現計画』なんてのをぶちあげて、イザベッラを舞い上がらせている。それにしてもイザベッラは、かなり強引に欲しいものを手に入れていたようだ。
マンテーニャは、イザベッラのお気に入りの画家だった。「マンテーニャの絵の人物の大きさを考慮して、それと釣り合いがとれるように制作して〜。」などと、依頼にあたってはかなり子細にわたって注文をつけたりしている。スケッチまで渡されちゃった画家もいる。これで頭のなかが混乱して、おもうように描けなくなってしまった画家も続出。ベッリーニなどはていよく断った。
イザベッラもレオナルド・ダ・ヴィンチにだけは頭があがらなかった。というより・・レオナルド・ダ・ヴィンチはイザベッラをあまり相手にしていなかったようにかんじられる。レオナルド・ダ・ヴィンチはイザベッラの依頼にいつも「ハイハイ」と空返事を繰り返すばかりだった。イザベッラはたしかに教養と好奇心は強かったかもしれないが、彼女にとって絵画とはたんなる『お飾り』でしかなかったのではない?それを、レオナルド・ダ・ヴィンチは敏感に感じとっていたのかもしれない。
そんないきさつがあって、イザベッラはフィレンツェをおとずれた際に、彼女の『魅力的な(!)』肖像を描いてくれるべつの画家を探してみた。「フィッリピーノもペルジーノも、数年はスケジュールが詰まっています。すぐにも御要望に答えられるのはサンドロ・ボッティチェッリだけです。」イザベッラの側近がなにを囁いたか分からない。メディチ家のロレンツォ・イル・マニフィコ亡きあと、サヴォナローラの時代が到来して、それ以降のボッティチェッリの絵はたしかに以前のような生彩を失っていた。イザベッラ、結局ボッティチェッリには注文しなかった。
ティツィアーノも、イザベッラのために何点か描いている。ある時、デステ家(イザベッラの実家)当主アルフォンソ公(イザベッラの弟)が、イザベッラのコレクションがある『カメラ・ピクタ』とおなじようなものを造りたがった。これを請け負っていたティツィアーノが、ドッソ・ドッシ(1479-1542)とともにイザベッラをたずねコレクションを見ている。ティツィアーノとイザベッラは、終始よい関係をたもっていた。
(1530年春、神聖ローマ帝国カール5世がイザベッラに招待されてコレクションを見たとき、そこにあったティツィアーノの肖像画がとくに気に入り、そののちティツィアーノを召しかかえている。)
イザベッラ・コレクション、100年後の1627ー28年、ゴンザーガ家のヴィンチェンツォ2世が金繰りに四苦八苦して、イギリス王チャールズ1世に売り渡してしまった。それからほどなくして、マントヴァは神聖ローマ帝国軍に略奪され、1797年にはナポレオンの軍隊にゴンザーガの墓まであばかれているから、案外これでよかったのかもしれない。ルーブル美術館などで、現在イザベッラ・コレクションを鑑賞することができる。
※ ファイル中の画像: (上) ルーベンス作イザベッラ(部分) 1605年 (中) 「パルナッソス」部分 マンテーニャ 1497年 パリ, Musee du Louvre (下) 「悪徳を追放するミネルヴァ」部分 マンテーニャ 1497-1502年 パリ, Musee du Louvre
※ イザベッラの肖像画は、このファイルにあるルーベンスの作品のほか、ティツアーノが描いたもの、気のすすまぬレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた素描などがよく知られている。
■ 画家の狂気(ブレイク/マンテーニャ)
■ マンテーニャ(訳)
■ マントヴァのテ宮殿(ジュリオ・ロマーノ)
■ マントヴァ公に仕えていたルーベンスとプルビュス
■ ルネサンス時代の常識・非常識
■ ルネサンスの花・ラファエロ
■ スフォルツァ家とミラノの命運
■ たびプラニング:マントヴァ・ヴィチェンツァ
※ 19世紀になって、イギリスのラファエル前派(バーン=ジョーンズ、ロセッティ、ミレイ・・)がマンテーニャ、ボッティチェッリらに注目しています。どちらもギリシャ神話などに題材を求めていますね。ラファエル前派の画家たちはイタリアにも行っているのですが、すでにイギリスにあったイザベッラ・コレクションのマンテーニャ作品はよく知っていたとおもわれます。
■ ラファエル前派/ロセッティのおやじは革命の志士
■ ルーブル美術館(日本語有り)
(2001.07.27.)(2002.08.18. 見直し)