わかったようでよくわかんないのがマニエリスム。よくわかんない理由はいくつかある。まずひとつはその名称。
「マニエリスム」は「マニエーラ」ということばからきている。「マニエーラ」は「手法」みたいなイミで、ごくフツウのことば。ヴァザーリがさいしょにこのことばを当てはめたというのだけれど、、「ルネサンスの手法を踏襲する」というイミなのか、「踏襲しながらも独特な手法」というイミなのか、いまひとつはっきりしない。
よくわかんない理由のふたつ目は、いったいいつごろからいつごろまでのことなのか・・・
マニエリスムは、ミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチの神々しいルネサンスと、1500年代の後半から1600年代にかけてのバロックのあいだに位置する。
バロックはルネサンス的な表現とははっきりチガウから、いつごろバロックがマニエリスムにとってかわったのかは、なんとなくわかる。でも、マニエリスムとルネサンスの表現はひじょうに似ているので、いったいいつごろからマニエリスムなのか、、これは雲のなか。
※※運動をはじめたわけじゃないから、いつからなんて言えるはずもないけれど、マニエリスムの期間が短かったことともあいまって、よけいにわかりにくい。
たぶん、、ラファエッロが死んだ1520年ごろ・・・そこらへんが境目、、?なぜかと言うと、そのころ、ルネサンス時代の権威が失墜しはじめている。
まず、ローマ教会の腐敗を指摘非難する声が高まった。1517年には、マルチン・ルターがあまりにはっきりとそのことを宣言している。それとそのころ、たびかさなって、外国の軍隊がイタリア半島を蹂躙冒涜している。
それまで万全かにみえた権威が失墜すると、ひとびとは懐疑的になる。それはなにも政治的にばかりではなく、アーティストにとっては、ミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチの予定調和的な美にたいする疑念も芽生えてくる。すると・・・
あるアーティストは、よりじぶんの内からの声に耳を傾けるようになり、またべつのアーティストは、完璧な美の構造をデフォルメしようとしたり、またまたべつのアーティストは、あえて通常の解釈からはかけ離れたテーマを描いたりする。
それがマニエリスムだ。しかし、ルネサンスという美の巨人にどのように立ち向かい、さらにルネサンスの美以上の美を築こうとしたのかとなると、、これは各人各様・・・
ただ、、あの時代に生きていたどのアーティストも、巨人ルネサンスにたいする崇拝と、崩れゆく神話と、、その両方を、程度の差こそあれ、感じていたにちがいないとおもう。
どちらをより強く感じていたかは、ひとそれぞれで、、だから、どこからどこまでがマニエリスムで、いつからいつまでがマニエリスムで、だれがマニエリスムのアーティスト、、という線引きは不可能に近い。
きわめてルネサンス的と目されているまさにそのアーティストのなかにもマニエリスム的な要素があったり、時期によってはほとんどマニエリスム的な作品を描いていたりする。
パルミジャニーノ、ポントルモ、ロッソ・フィオレンティーノはマニエリスムの代表的なアーティストだ。コレッジョやアンドレア・デル・サルトはマニエリスムの元祖大元でも、このふたりにはまだまだ濃厚にルネサンスが残っている。
ティツィアーノの後期の作品はおおいにマニエリスム的だし、デューラー(1471-1528)だってマニエリスムとかんれんづけて語られることがある。1520年、ルネサンスのピークに37才で逝ったラファエッロのなかにも、マニエリスムをみようとおもえばみえないことはない、ゼ!
(2001.10.02.)(2004.11.18. 見回り)
※ ファイル中の画像: (上)コレッジョ作 部分 1531年(Kunsthistorisches Museum ウィーン) (下) パルミジャニーノ 名刺がわりにローマに持っていった自画像 1524年(Kunsthistorisches Museum ウィーン)
■ マニエリスムの画家たち(Photo
Gallery)
■ マニエリスムってなに?
■ マントヴァのテ宮殿
■ ポントルモ
■ ロッソ・フィオレンティーノ
■ パルマのコレッジョとパルミジャニーノ
■ モンスター・パークは創業1550年