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ルネサンス時代の常識・非常識

ルネサンスのエネルギーがいっちゃんみなぎっていたころといえば・・・1500年前後の20年間。レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエッロ・・・そして、ルネサンスの旧世代と新世代がいりまじっていたころです。つぎの地図は1494年のイタリア。

renaissance(VE)ヴェネツィア共和国
(MA)マントヴァ公国
(FE)フェラーラ公国
(MI)ミラノ公国
(FI)フィレンツェ共和国
(SI)シエナ共和国
(St)教皇領(ローマ)
(LU)ルッカ公国
(MO)モデナ公国
(GE)ジェノヴァ共和国
(SA)サヴォワ公国
(NA)ナポリ王国

参考にしたのは→ テキサス大学の地図(744KB)

芸術家の層が厚かったのは言うまでもなくフィレンツェ共和国とヴェネツィア共和国。また、マントヴァ公国、フェラーラ公国、ミラノ公国、ウルビーノ公国(かんたんマップ →→)などでは、芸術家がとりわけ厚くもてなされていました。

芸術を手厚く庇護することを、「メセナ」といったりしますが、その代表選手のようなひとたちがこの時代にはたくさんいました。

ボッティチェッリ → フィレンツェ・メディチ家 ロレンツォ・イル・マニフィコ
マンテーニャ → マントヴァ・ゴンザーガ家 イザベッラ・デステ
ブラマンテ レオナルド・ダ・ヴィンチ → ミラノ・スフォルツァ家 イル・モーロ
ピエーロ・デッラ・フランチェスカ → ウルビーノ・モンテフェルトロ公 フェデリーコ

金があったから文芸を庇護したのか、、文芸を庇護したから栄えたのか(マジ)、、、ともかくこれらメセナーテ(メセナをするひと)は、領民にも支持され、国情も比較的安定していた、というのもジジツです。

ルネサンスというと「芸術の時代」みたいなイメージがあるかもしれませんが、現実は、「戦争と平和」さながらです。パワーポリティクスの元祖マキャベッリ(1469-1527)のような人物がでてきた時代です。イタリア半島内の内輪もめばかりではなく、フランス、神聖ローマ帝国、スペインの軍隊までもがやってきてイタリア半島を蹂躙していました。芸術家もそれにともなって、あっちゃこっちゃへと移動。。

そのひとつに、上の地図で(St)と書かれたミズ色の部分・・・これは教皇領で、ボローニャ、フォルリ、イーモラ、リミニ、ファエンツァ、ウルビーノなどがあります。ここは当時の火薬庫!

なぜかというと、当時からさらに遡ること100年以上前、「教皇のバビロン捕囚(1309〜77年)」という歴史的事件がありました。フランスのアヴィニョンに教皇庁がおかれると、『鬼のいぬ間に・・』ではありませんが、教皇領だった土地に封建領主が跋扈(ばっこ)し、そのうち既得権みたいなものができあがったところです。

これを取りかえそうと虎視眈々とうかがう教皇側、そして守る側の領主側・・・周辺公国をまじえての国盗り合戦です。

renaissanceところで、、このころイタリアを南北に駆け抜けたフランス、神聖ローマ帝国の軍隊はどこを通って行ったのでしょう・・・?いまの高速道路とか鉄道をイメージすると、とんでもない山越え!

当時はまずモデナ、ボローニャを通って、いったんアドリア海をめざします。イーモラ、ファエンツァ、フォルリを抜けるとアドリア海。こんどは海岸沿いにペーザロまで行き、それからウルビーノへ向かって内陸に入ります。そしてフィレンツェ、ローマ。

この道ぞいにあった諸国はすなわち「重要な要衝」であったとともに、そこを通りすぎていく兵隊たちの乱暴強奪を被りました。戦争に参加する見返りは「略奪」だった。イタリア半島が、数え切れないほどの暴力行為をなめ尽くしてきたことを考えると、現在まで残っている美術作品はほとんど奇跡的と言えるかもしれません。

かんれんファイル

■ 戦争と平和のルネサンス
■ 地方ごとに特徴があるルネサンス

かんれんサイト

UT Library Online
テキサス大学の歴史地図。地図ファンは頭がクラクラする。(英語)
http://www.lib.utexas.edu/maps/historical/index.htm

(2001.08.08.)(2002.08.08. 見直し)(2004.11.12. 見回り)

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