Galeazzo Maria Sforza 1444-76
だれだ、ガレアッツォ・マリア・スフォルツァって??・・・ミラノ大公(1466-76)で・・・フランチェスコ・スフォルツァとビアンカ・マリア・ヴィスコンティの息子で・・・と言っても、わかるひと、そんなにいないよね。
ミラノはもともと、パヴィアに本拠をおいていたヴィスコンティ家の配下にあったのですが、ヴィスコンティ家の男子継承者が途絶えると、最後の当主は、信頼厚かった傭兵隊長とじぶんの娘を結婚させました。
その傭兵隊長が「フランチェスコ・スフォルツァ」。ガレアッツォ・マリア・スフォルツァはその子息です。ミラノ・スフォルツァ時代幕開けの落とし子!
肖像画でみるかぎり、スフォルツェの息子ガレアッツォ・マリア・スフォルツァは情緒にあふれ、賢そうなかんじですが、このひと、独裁者として反対派に暗殺されました〜!
文芸はこよなく愛していたにちがいない・・・ブラマンテ(1444-1514)がすでにこのひとのところで働いていました。
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)は、フィレンツェでガレアッツォ・マリア・スフォルツァと会っていますが(1471年)、ダ・ヴィンチがスフォルツァ家に仕えるのは1482年からで、ガレアッツォ・マリア・スフォルツァはすでになく、そのころのスフォルツァ家当主は、ガレアッツォ・マリア・スフォルツァとは従兄筋のルドヴィーコ・イル・モロ(1452-1508)でした。
イル・モロはスフォルツァ家繁栄のさなか、ルネサンスのまっただなか、フランス軍に破れ、幽閉され、そのまま死去。ミラノはそののちなが〜く外国の支配下におかれるのですが・・・ガレアッツォ・マリアには、カテリーナという娘がいました。
たぶん、そんなに裕福でないおんなに生ませた庶子なのですが、、のち、このカテリーナは美貌でならし、チェーザレ・ボルジアを相手に奮闘し、幽閉され、その孫コジモ1世は初代トスカーナ大公となりました。
ちなみに・・・「ガレアッツォ・マリア」の「マリア」っておんなみたいななまえじゃん、、!これ、べつに、、母親がマリアだったからというわけではなく、たんなる(北イタリア人の)名前です。たとえば「ジャン・マリア」とか(モチ男)・・・いまでもいます。
(2004.02.27. 『スフォルツァ家とミラノの命運』から分割)(2004.11.20. 見回り)
※ ガレアッツォ・マリア・スフォルツァの肖像画(1471年ごろ): アントーニオ・デル・ポッライオーロ作 Galleria degli Uffizi
■ ブラマンテとレオナルド・ダ・ヴィンチはおともだち(展)
■ スフォルツァ家ってどこのナニもん?
■ スフォルツァ家が外国に攻められたワケ
■ カテリーナ・スフォルツァ