パヴィア、ミラノの支配者だったヴィスコンティ家に、残虐で名をはせた有力当主がいた。ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ。ところがこの男、、、ミラノのドゥオーモ、パヴィアの僧院をも建立した慈悲深〜い男でもある。
ジャン・ガレアッツォは、愛娘ヴァレンティーナをフランス王ルイ12世の祖父ヴァロワ・オルレアン公と結婚させた。これこそが、、、、、その後フランスやスペインにミラノが『ちゃち』を入れられる原因となった!
男子継承者がなかったヴィスコンティ家の最後の当主フィリッポ・マリアは、忠実な部下だった農民出身の傭兵隊長フランチェスコ・スフォルツァをクレモナの領主にし、じぶんの娘と結婚させた。
フィリッポ・マリア・ヴィスコンティの死後(1477年)、ミラノはいったん共和国になったが、すぐにフランチェスコ・スフォルツァを統治者として迎えいれた。
ところが・・・「異議アリ!」「ワレこそがミラノ公国の正当な継承者である。」と、フランス国王ルイ12世がわってでた。
ルイ12世の祖母は、ヴィスコンティ家のなかでもきわめて力を持っていたジャン・ガレアッツォの愛娘ヴァレンティーナ・ヴィスコンティだ。たしかに説得力アリ。
「農民出身のスフォルツァがなんで!」というのもあるだろうが、、時代も、周辺の強国がせめぎ合うようになっていた・・・フランス、神聖ローマ帝国ハプスブルグ家、スペイン、教皇。
七転八倒、、、いやいいこともたくさんあったろうが、、、スフォルツァ家当主ルドヴィーコ・イル・モロは、1499年、とうとうフランス国王ルイ12世に捕らえられてしまった!ルイさんは執念深い・・・ヴィスコンティの死後20年はたってるゼ。
イル・モロの庇護下にあったレオナルド・ダ・ヴィンチとブラマンテはそそくさとミラノから退散。ブラマンテはローマへ、レオナルドはフィレンツェに戻った。
そのあとミラノは、1535年から1713年までスペインに支配され、そのあとオーストリア(-1796)、ナポレオン、そしてまたオーストリア(1815-59)の支配を受けた。イタリア統一が1861年だから・・・ミラノは、外国に支配されっぱなしの歴史だった、、、ってことになる。
(2001.07.20.)(2002.08.18. 見直し)(2004.02.27. 見直し・画像入れ替え)(2004.11.04. 「スフォルツァ家ってどこのナニもん?」から分割)
※ イル・モロ(Ludovico il Moro 1452-1508): ほんとは「イル・モーロ」って書くべき。
※ ルイ12世: 1462-1515
※ 写真(拡大画像つき)はカステッロ・スフォルツェスコで撮影(2004.02.26.)。(上)城の裏門からセンピオーネ公園にあるアーチが見える。ここにおいしいアイスクリーム屋さんがあったんだけど・・ (下)ドゥオーモとスフォルツェスコ城をつなぐヴィア・ダンテから。
■ スフォルツァ家ってどこのナニもん?
■ ガレアッツォ・マリア・スフォルツァ
■ ブラマンテとレオナルド・ダ・ヴィンチはおともだち(展)
■ 「戦争と平和」のルネサンス