Eugene-Louis Boudin, 1824-98
ブーダンは、その交友関係、なかでもモネとの交流、最初の印象派展(1874)に参加したことなどから、印象派とされる。それはそれでいいとして、しかしブーダンには、印象派というより、むしろ、のちにフォヴィズム(野獣派)となっていくDNAがあって、そっちによりひかれる。フォヴィズムのアーティストには、ドゥラン(1880-1954)、デュフィ(1877-1953)、マティス(1869-1954)などがいる。

1869/Musee d'Orsay
ちょっと、ブーダンをコローと比較してみるとおもしろい。「コローが印象派へ」なら、なぜ「ブーダンがフォヴィズムへ」なのか、言わんとしているところを、よりよくわかってもらえるかもしれない。
ブーダンとコローは、ともに「静」っぽいところが似ている。しかし、その「静のあり方」が、じつはかなりちがうのだ。
コローの「静」は、「動」がいったんそこに収束してまたさらに「動」へと拡散していくエネルギーの一時的な凝縮状態で、穏やかそうにみえるがいまにも噴火しそうな火山だ。そこにきらめく色彩、生への歓びは、のちに印象派がそれを光そのものに置き換えていく。
ブーダンは「浜辺」をよく描いたが、そのようにうごきがあるものを、まるで「静物画」のように仕立てている。ブーダンの絵には、ある瞬間の光、ひとびとの歓び、、が永遠に閉じ込められている。かなり緻密に描いているようで、じつは「いくつもの色彩の塊」といった印象を受ける。
こうしたブーダンの作品から、単純化されたラインと鮮やかな色彩を散りばめたフォヴィズム、ひいては表現主義などへの発展を予感するのは、そうむずかしいことではないような気がする。
余談だが、もしかするとこの違いは、「近代」と「現代」がぶつかり合い波しぶきをあげる19世紀後半という時代に生きたふたり、ブーダンとコローの、生き方の違いだったのかもしれない。
ブーダン作品へのリンクがたくさん
http://wwar.com/masters/b/boudin-eugene.html
ブーダンおじさんの写真
http://www.ecoles.cfwb.be/argattidegamond/cARTable/Boudin.htm
* 「トルーヴィルの浜辺(1865年)」のひとつがブリヂストン美術館にあります。
*「Boudin」は「ブーダン」と表記されるけど、フランス語では「ブダン」。
2003.04.14./2004.11.08. 「スピリアールト展」より分割/2007.10.17. 見回り