Jules Breton(1827-1906)
左の画像は、ジュール・ブルトンの『落穂拾いの招集(Le Rappel des glaneuses/1859年/オルセー美術館)』という大きな作品(横長)の一部分です。
これ、ただの『写実』じゃありません。はは、そもそも『ただの写実』なんてありませんね。百人が描けば百様です。ではブルトンの作品はどういう写実なのかというと、さしずめ『隣のおねえさんを描いたにいちゃんの写実』です。
まんじゅう食ってるおねえさんも、真夏の暑い日にスリップひとつで家のなかを闊歩しているおねえさんも、喧嘩をして歯をむき出してくるおねえさんも、みんなにいちゃんは知っている。そもそもおねえさんは幼ななじみで、恋愛の対象でもなければ4日おきに出勤する憧れのスッチーでもない。そういうにいちゃんがおねえさんを描くとこうなる。
ブルトンはこんな光景を前にして、なにをそこに見ていたのでしょう?おんなたちの美しさ?素朴な農村風景?絵画的な美しさ?そのどれでもあったかもしれないし、そのどれもでなかったかもしれません。たしかなのは、そしてもっとも重要なのは、おんなたちが『隣のおねえさん』になるまで、世界のちがいを感じさせるすべての誤解と幻想と先入観を、ブルトンはひとつひとつはいでいったということです。描けば描くほどにおんなたちはグングンと手元に引き寄せられ、そしてさいごは『隣のおねえさん』になるというわけ。
もうひとつの作品『アルトワ地方の小麦の祝別祭(La
Benediction des bles en Artois/1857年/オルセー美術館)』も、ともすれば時代ものの風物描写と見えるかもしれません(左画像:こちらも横長の大作品部分)。でも、こちらにも隣のおっちゃんとにいちゃんがいます。行列が通り過ぎれば立ちあがり、昼飯でも一緒に食わないかと声を掛けてくる。
どう?よぶんなものをいっさいがっさい取り払った、『素のニンゲンたち』・・ニンゲンの弱みとか悲劇とかしあわせとかを引き出してきて誇張して見せるのとはちがう描写、それがブルトンの写実です。
ちょっとフランス映画の現実感とか生活感に似ていますね。(ブルトンもフランス人だけど・・。)う〜ん、でもイタリア映画の社会リアリズムみたいな意図的なところはぜんぜんない。これがもうすこし発展していくと現代のポップ・アート的描写にもなる、そんななにかを感じます。
ブルトンの作品には風俗的なものもありますし、アカデミックなものもあります。だからブルトンの作品がすべてこういう写実に成功していると言うつもりはありません。『ミレー3大名画展(Bunkamura 2003.4)』で展示されていたブルトンのべつの作品『泉にて(A la Fontaine/1892年)』などは、ちょっとセンチでした・・
ブルトン作品 (Art Renewal Cente)
http://www.artrenewal.org/asp/databas..
■ ミレー3大名画展
(2003.04.15.)