印象派の知名度にくらべると、イタリアのマッキアイオーリ(Macchiaioli)はあんまり目立ちませんね。でもおんなじような試みを、おなじ時期にしてたってことをかんがえると・・・もっと評価されてもいいのでは?・・・な〜んておもっちゃいます。
作家の生誕年順 / GAMはGalleria d'Arte Moderna(現代美術館)
La lezione 1874(GAM, Roma)
はえぬきのカフェ・ミケランジョロ通い。この作品だけではなく、好んでこどもを描いたみたい。独立戦争ヴェテラン。
Bimbi al Sole 1860(GAM Ricci-Oddi, Piacenza)
マッキアイオーリたちがよく描いた場所にカスティリオンチェッロの農園付近があるが、金持ちバンティもほうぼうに別荘を所有していて、マッキアイオーリ仲間を招待した(援助もしたよ)。またコレクターとして、マッキアイオーリも含めた近代絵画のコレクションを残した。
Via del Maglio a Firenze 1867
ダンコーナのほかにも、ボルディーニ、デ・ニティス、セラフィーノ、デ・ティヴォリなどが、一時期パリに住んでいた。育ちがいいダンコーナの画風はちょっと強烈。たとえばこれとか↓
Parco Reale 1861-62
Bovi al carro 1867(GAM di Palazzo Pitti, Firenze)
晩年は版画に精魂を傾けていたとは・・・
かんれんファイル → モディリアーニの先生ファットーリ
Grano maturo 1861
シニョリーニがデ・ティヴォリのことを「マッキアイオーリのパパ」って言ってたんだそう。ロンドン生活が長かった。
La fienaiola 1890(GAM, Milano)
晩年ひどく貧乏だったってなんて、、レーガの優雅な作品からはとても想像がつきません。(『マッキアイオーリってなに?』にも1作品。)
Il chiostro di San Zeno a Verona 1867
マッキアイオーリがエネルギーに満ちていたのはやはり1860年前後。セルネージ、アッバーティが66年と68年に他界し、何人かの画家がパリに活動の場を移すと、マッキアイオーリは求心力を失っていきます。カビアンカはローマに移りました。(『マッキアイオーリってなに?』にも2作品。)
Carro rosso a Castiglioncello 1867(右半分部分)
窮して・・という言葉があるけど、、晩年、ジノリで絵付けもやってたんだね。独立戦争ヴェテラン。
Il ponte sull'Affrico a Piagentina 1863-64(GAM di Palazzo Pitti, Firenze)
父親がフィレンツェの宮廷画家。だったために画家にならされた、んだって。独立戦争ヴェテラン。
Il vangatore 1880
Stradina al sole 1863-64
ガリバルディの軍に従い片目を失い、それにも懲りず、第三次独立戦争にまた参加した、血の熱〜いナポレターノ。マッキアイオーリを代表する作家のひとりなんだけど、早く逝きすぎたゾ。
In giardino 1885(GAM di Palazzo Pitti, Firenze)
生誕地フェッラーラにボルディーニ美術館(Museo Boldini, Ferrara)があります。ボルディーニの作品には、のちのボッチョーニ(Umberto Boccioni 1882-1916)への伏線がみえるような・・・
参考画像 → ボッチョーニの作品「弾力性」 (1912 / Pinacoteca del Castello Sforzesco)
※ このファイルは SILVESTRA BIETOLETTI著 『 I Macchiaioli; La storia Gli Artisti Le Opere (Giunti 社) 』 を参考にしています。
このファイルで作品画像とともに紹介した画家だけがマッキアイオーリというわけではありません。とくにチェチオーニは『Giornale Artistico』誌をシニョリーニとともに創刊し、評論家としても活躍していました。また若くして死んだセルネージ、マッキアイオーリの多くの画家たちのお手本となったアルタムーラなど、マッキアイオーリのまさに輪の中心にいたひとたちです。たまたまおもうような作品画像がみつかりませんでした。
本書では、このほかにも、ロレンツォ・ジェラーティ(1824-95)、サヴェリオ・アルタムーラ(Saverio Altamura 1826-97)、スタニスラオ・ポアントォ(Stanislao Pointeau 1833-1902)、ミケーレ・テデスコ(Michele Tedesco 1834-1918)、アドリアーノ・チェチオーニ(Adriano Cecioni 1836-86)、ラファエッロ・セルネージ(Raffaello Sernesi 1838-66)、フェデリーコ・ザンドメネギ(1841-1917)、ニッコロ・カンニッチ(Niccolo Cannicci 1846-1906)、ジュセッペ・デ・ニティス(Giuseppe de Nittis 1846-84)、フランチェスコ・ジオーリ(Francesco Gioli 1846-1922)、アドルフォ・トマージ(1851-1933)、などがとりあげられています。
マッキアイオーリの影響は、のちの、モルベッリ(Angelo Morbelli 1853-1919)、セガンティーニ(Giovanni Segantini 1858-99)、ダ・ヴォルペード(Giuseppe Pelizza da Volpedo 1868-1907) といったミラノの一派にも感じられます。
■ マッキアイオーリってなに?
■ マッキアイオーリ作品集
■ マッキアイオーリ作品にふれている(パウロ2世美術館展)
■ モディリアーニの先生ファットーリ
(2004.03.16.)