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ジョルジュ・ルオーのルーツ

Georges Rouault 1871-1958

Georges Rouaultルオーのルーツはアルメニアなんじゃない?「アルメニア・メモ」というファイルを書いていてふとそんなことをおもった。ルオーの絵は、どういうふうに見てもフランス人のものとはおもえない。色彩といいルオーが見ている世界といい、なにかこうテンペラメントがちがう。一方で、アルメニアか中央アジア出身のアーティストが絵を描くと、なんなくしてルオー作品になる。いったいルオー作品のルーツというのはどこいらへんにあるのだろう・・

ルオーはパリ・コミューンが引き起こした市民戦争のまっさいちゅうに生まれている(1871年)。ルオーの母方のおじいさんは、セーヌ河畔の古本市(!)でマネ、クールベ、ドーミエなどの版画をあさっていた。画家ルオーはこのおじいさんの影響を受けている。この祖父がもしアルメニア系だったらすんなりいく。ところがこの母方の家系は「ずっとパリよ。」ってかんじなのだ。

ルオーは14才のときステンドグラスの工房に入った。当然ビザンチン美術にも注意を払っていたはず。しかしルオーの作品は、装飾的な傾向のあるビザンチン美術よりもっと野性的だ。

ボザール(美術アカデミー)に入ると、象徴主義の画家で教授だったギュスターヴ・モロー(1826-98)に可愛いがられた。(のちにギュスターヴ・モロー美術館ができたとき、ルオーが初代館長になる。)同期生にはヴュイヤール(1868-1940)やマティス(1869-1954)らがいて、のちフォヴ(野獣派)の創設にはルオーも手をかしている。

モロー作品(WebMuseum Paris)
http://www.ibiblio.org/wm/paint/auth/moreau/

象徴主義の幻想的な傾向やフォヴの大胆さがルオーの画風を後押ししたとは考えられるが、ルオーは孤高を守って制作に没頭することを愛した作家で、基本的にどの派にも属していない。

Georges Rouault一方、家具職人だったルオーの父親はある宗教家に心酔していた。その影響もあってか、ルオー自身もまた堅くカソリックを信奉していた。このこととルオーの作品の関連性がよく言われるが、作品のモチーフや制作の動機とはなり得ても、創作過程そのものとはあまりかんけいない。

父方の家系はケルト民族(ブレターニュ地方)の血をひいている。うぷっ。ルオーの作品に神秘的で重厚なケルトの文化をかんじとるのはやめといたほうがいい気がする。

ルオー作品は、寒い海にそそり立つ断崖やコケむした岩肌とはかけ離れている。風に舞いあがる砂ぼこりと炎暑の土地に住むひとたちが、道ばたの草花にも神性を感じるような、そんな親しみとあたたかさと根深さがある。そこらを歩いている神様がそのまま絵になってしまったような力強さだ。

だから、ルオー作品は近代的な美術館のシミ一点ないこぎれいな壁より、古ぼけた教会か道ばたに置かれていたほうがピッタリくる。これはヤオヨロズの神の世界に近い。とするとルオーは「お地蔵さん作り」をしていたのだ。「キリストを描く」というよりも「キリストを作ろう」としていた。ボテボテの油彩、水彩、グアシュ、陶器。ルオーが素材の探究に心を砕いたのはそのためだ。

こうなるとますますルオーとアジアを結びつけたくなってくる。そしてルオーのおじいさんはアルメニア系にちがいないなどと勢いづいたが、結局そんなものはでてこなかった。「クオ・ヴァディス(どこへ行こうとしてるの?)、ルオー?」「そんなことはどうでもいいんだよ。」とルオーがつぶやいている。

(2002.04.03.)

※ ルオーの作品はブリヂストン美術館/清春白樺美術館(山梨県)などでもみられます。

※ クオ・ヴァディス(ラテン語): 1世紀のローマを舞台にしたシェンキェヴィチ(1846-1916:ポーランド)の同名の小説が有名。

※ ファイル中の画像はルオーの作品: (上)1935-36年ごろ 受難・キリスト・この苦しみ  (下)1925年ごろ 見習い職人(ポンピドゥ・センター)

かんれんファイル

■ アルメニア・ホロコースト

BBSより

真白さん

先月、東京へ「ウィンスロップ・コレクション」を観に行ってきました。 私はモローという画家が好きでどうしても観たことのないサロメとヨハネが観たくて。モローはサロメを幾枚か描いていますがヨハネの首から滴る血がウィンスロップのものが一番生々しいような・・・・

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