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カイム・スーティン

Chaim Soutine(1893-1943)

スーティンはリトアニア生まれのユダヤ人。リトアニア系なのでほんとうはどういうふう発音をするのかわかりませんが、フランスでは「スティン(うしろにアクセント)」と呼ばれていたはず。日本語では「スーティン」が一般的みたいです。名前のほうは「カイム」とか「ハイム」という表記が多い。

リトアニアは正確にはドイツ系ですが、文化的背景はロシア系とも言えます。スーティンはそののちミンスク(白ロシア)を経てパリへ。パリではモディリアーニ(Amedeo Modigliani 1884-1920)のおともだちでした。

Chaim Soutine

「靴屋の女 III(赤い服の女性)」1926-27年/Collection Albert D. Lasker, New-York

スーティンの作品
http://www.monteils.com/soutine.htm
モディリアーニが描いたスーティンの肖像画もあるよ。

それにしても、1900年代初頭には、ほんとうによくロシア系アーティストが登場します。シャガール、カンディンスキー、マレーヴィッチは言うまでもなく、ニコラ・ド・スタール、ヤウレンスキーはヨーロッパで、バーネット・ニューマン、ロスコなどはアメリカで注目をあつめていました。(ロシアユダヤ系もまた多い。)

脚光をあびたロシア系アーティストがこれだけいたということは、その周辺には、脚光をあびなかったロシア系アーティストがまだごちゃまんだったはず。なぜそんなにたくさんのロシア系が?!

ロシア人気質、ああだからこうだああだこうだ・・・。でもそもそもロシアはヨーロッパの一角ですから、裕福な家庭のロシア人子弟はかならずといってよいほどヨーロッパに遊学していました。

「大きな樹のある南仏風景(1924年)」/ブリヂストン美術館

一方で、どうしようもなく混乱したロシアの社会情勢に(ロシア革命は1905年と1917年)、数多くのロシア人がヨーロッパに流れ込んでいった、あるいはヨーロッパを経てアメリカに渡った、というのもあった。(いまと少し状況が似ている。)

またそういう社会的要因とは別のところで、美術の潮流そのものが当時すこしく「理論化」していたってこともあるとおもう。しかもロシア人はそういうの大得意〜〜。

えかきのきにあるロシア系アーティストをちょっとあげときますね。

■ ヤウレンスキー(1864-1941)
■ カンディンスキー(1866-1944)
■ マレーヴィッチ(1878-1935)
■ シャガール(1887-1985)
■ スーティン(1893-1943)
■ ロマン・ビリンスキー(1897-1981)
■ ロスコ(1903-70)
■ バーネット・ニューマン(1905-70)
■ ニコラ・ド・スタール(1914-55)

(2002.10.07.)

かんれんファイル

■ モディリアーニ

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