Masaccio(Tommaso di Giovanni Cassai)
1401-28 Arezzo-Roma
マザッチョ・・!『ルネサンス絵画の始祖』と呼ばれ、また『イタリア絵画がもつ優美さ』をおおいに表現したアーティストのひとり・・・
マザッチョ以前には、スリー・ディメンショナル(三次元=平面的でない)な作風の元祖ジョット(1267-1337)がいて、『ルネサンス絵画の父』と呼ばれている。27才で死んだマザッチョと、どこがどうちがうの・・?
そもそも『スリー・ディメンショナルな作風』ってなんだ?たぶん・・『ニンゲンの表情や感情を巧みに表現する』という、そういうことではないの?すくなくとも、どれだけ立体的な絵画を描くことができるかという、技法や数学的な問題ではない。ジョットにもひとびとはぶったまげたとおもうけど、、マザッチョはそれ以上に、喜怒哀楽を豊かに表現している。
マザッチョ作品(Web Gallery of Art)
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/m/masaccio/
マザッチョは、1401年、公証人の息子として生まれた。姓は『Cassai』。イタリア語の『Casse』は『木箱』のことで(つまり家具など)、祖父が家具職人。5才のときに父をなくしたが、母親が年輩の裕福な男と再婚したために、生活はまあまあ安定していた。
1417年、マザッチョが16才のとき、母親はまたもや未亡人となり、一家ともどもフィレンツェ近郊に移り住んだ。マザッチョの才能が爆発したのは、20才のときにフィレンツェに出て来てからのことで、マザッチョはその2年後にはフィレンツェの画家ギルド(職人組合)に入会している。(弟のジョヴァンニもまた画家で、『スケッジャ』の通称で呼ばれる。)
そのころのフィレンツェは・・ブルネレスキ(建築家)、ドナテッロ(彫刻家)などが活躍していて、ドゥオーモ、バティステーロ、オルサンミケーレ教会、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会など・・町の新しいシンボルがぞくぞくと建築されていた。
『マザッチョ』というのは通称で、本名の『トマーゾ』がフィレンツェでは『マゾ』と呼ばれ、それが語形変化しただけ、と言うひともいる。またそれとはべつに・・『スポイルされてきちんとしたことができなかったタイプというイミがある』とか、美術史家ヴァザーリによると『オタクだったから』とか・・そんな説もあって、そんなふうに見られるところがあったかわいいヤツだったのかな、、ともおもう。着ている服にも頓着しなかったとか、『おんな』にもあまり関心がなかったとか・・世事にあまりとんじゃくしなかったタイプであったほうが、マザッチョのイメージとして、なんとなくピッタリくる。
マザッチョは27才で神様に召されてしまったので、歴史に大きな刻印を残したと言っても、現代に残されているマザッチョ作品がそんなにあるわけではない。マザッチョ作品だとはっきりと断定されているものは4作品。
ウフィッツィ美術館、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会、ブランカッチ礼拝堂(サンタ・マリア・デル・カルミネ教会)・・・すべてフィレンツェ。このほかに、ピザでマザッチョが描いた作品(1426年)がベルリン(Staatliche Museen)にある。
なかでもブランカッチ礼拝堂(Santa maria del Carmine, Cappella Brancacci)のフレスコ壁画はマゾリーノ(Masolino da Panicale 1383-1440/47?)と共同作業(1423-28)をしたもので、マザッチョの代表作とされる。ボッティチェッリ、レオナルド・ダ・ヴィンチをはじめ多くのルネサンス美術家たちのお手本となった作品だ。
うぅん・・・どこをマザッチョが描いてどこをマゾリーノが描いたかって、写真ではわかんないよ。行ってじっさいに見てみると、やはりちがうんだってのがつたわってくる。
※ ブランカッチ礼拝堂の壁画は未完成のまま残され、1480年ごろ、フィリピーノ・リッピ(ボッティチェリの師匠フィリッポ・リッピの子)によって完成された。
■ サイト名も『マザッチョ』(英語 イタ語)
(2000.12.02. 加筆)(2002.08.28. 見直し)(2003.05.01. 点検)(2004.02.11. 見直し)