ラ・トゥール展
Georges de La Tour 1593-1652
「現代人と昔のひととでは絵の見方がちがう、、」「またぁ〜〜?どうでもいいじゃんそんなの!」「まったく、われながら、どうでもいいことだとおもいます。でも、ラ・トゥール展を見てたら、またぶり返してきちゃったんです!」
「なにアレ?また抽象画以降時代人と以前時代人のはなし?でもどうして今と昔とではチガウなんて言いきれんだよ?!」
「抽象画を経験した現代人は、作品にナニが描かれているのか、家と山が描いてあるのか、キャンバスがペンキで塗りつぶされてるのか、どっちでもいいみたいなとこがあって、、、むしろ、ナニがどのぐらい描かれてないかのほうが基準になってるかもしれません。」
「そうね、あんまり具体的なナニカが描かれていると、アタマの中でいったんそれをくずして見てる、カモね。」
「たとえばラ・トゥールの『蚤をとる女』に描かれてるのが、、どんな女なのか、女がなにをしているとか、暗い室内にロウソクだけがともっていて、なんてことより、、、色彩とかコンポジション(構成)とかムーヴメント(うごき)とか、そんなもろもろの要素がどのようにつかわれ、それがぜんたいとしてどうなのか、どういうふうに心をとらえるか、、むしろそっちに関心が、、」
「それで?昔のひとは?女の足がとてもセクシ〜とか?キラッとひかってる女の目からキサクそうな性格が推し量れるとか?いまにもこちらを振り返ってはなしかけてきそ〜とか?たまらなくありきたりな日常性を椅子に感じるとか?そういうこと?」
「はい、、絵に描かれたモノの背後にある世界を想像するみたいな。描くほうもまた、そういうのを鑑賞者に想像させるような絵の描き方をしていたんだとおもいます。そういう意味では、『荒野の洗礼者聖ヨハネ』なんかも印象的な作品でした。」
「こどものころって、けっこうそういうふうに絵を見てたよね。絵のなかの人物に恋したり、あるいは難破船のシーンに恐怖心をあおられたり、、、」
「憶測ですが、、たぶん現代人はドラマとかストーリーとか、べつに絵画に求めなくたっていいわけですから、無意識にですけど、視覚的効果の部分に限定して絵を見ているような気がします。」
「だけど、あんた、たったいま、ラ・トゥールの絵を昔のひとみたく見てたんでしょ?矛盾してるぅ〜」
「いえ、、絵のなかの世界におもわず引き込まれちゃう、現代人の習性を忘れさせてくれる作品というのがときとしてあります。ラ・トゥールがそうでした。」
「もしかして、なにかいつもとチガウ見方をしている、それがおもしろいだけなんじゃない?トリップのタノシサっちゅ〜か。。」
「、、そういうのもあるかもしれません。あ〜〜、そうだ!そうです!いつもとちがった絵の見方をしているじぶんに気づいて、それが愉快だったのかもしれません!トリップ、なんですね〜〜」
(2005.04.02.)
※ ラ・トゥール展: 2005.3.8-5.29 国立西洋美術館
※ 作品中画像はいずれもラ・トゥール展カタログ(読売新聞社)より: 「蚤ととる女(1635-38/Musee Lorrain)」 「荒野の洗礼者聖ヨハネ(ラ・トゥール最晩年の作品/Musee Georges de La Tour)」
国立西洋美術館
http://www.nmwa.go.jp/
ラ・トゥール作品
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/l/la_tour/..
(Web Gallery of Art)