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フランス人が崇めるロランはイタリアーノ

Claude Lorrain 1600-1682 Champagne-Roma

lorrainニコラ・プサン(Nicolas Poussin 1594-1665)とクロード・ロランは、同じ時期ローマにいて、お互いに行き来もしていました。かれらは『フランス絵画の父』云々と、フランスで絶大な支持を受けています。フランス美術界に与えた影響を考えると、この呼び名はけっして不思議ではありませんが、アーティスト個人としてとらえたとき、どうみてもこのふたり、イタリアのほうに属している度合いのほうが大きいのです。

プサンの描いた絵は、『イタリアかフランスか』というより、当時のイタリアを中心としたヨーロッパ美術の頂点にたっています。のでどちらかと言ったら、やはりイタリアの気配のほうが濃厚です。一方のクロード・ロラン。彼の作品には、たしかなイタリア人のボルテージの高さがある。

ニコラ・プサン作品
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/p/poussin/

クロード・ロラン作品
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/c/claude..

ロランは1600年、フランス・シャンパーニュ地方で生れ、1613年すでにローマに来ています。ロラン、13才。(あばれん坊のカラヴァッジョは3年前に世を去っています。おなじローマですから、カラヴァッジョ伝説はよく聞いていたとおもいます。)

アゴスティーノ・タッシという風景画家に弟子入り。このタッシというのがまたほうぼうで悶着を引き起こしてくるひとで、友人の画家(オラッツィオ・ジェンティレスキ)の美貌の娘をレイプした一件で、美術スキャンダル史に記憶されています。風景画家としてのタッシは美しい海や、嵐を描いたといいますから、若いロランがファンタジーをかきたてられる部分はあったのでしょう。

さてロラン、1625−27年の2年間、フランスでフレスコ画の仕事に従事。そしてまたローマに戻ります。この頃のローマでのロランについてはあまりよく知られていません。プサン等外国人アーティストたちと交流があったのはわかっています。おそらく装飾的なフレスコ画をかいていたのだとおもわれます。ロランが描く風景画は、やがて法王や枢機卿たちのお気に入りとなります。これが、1635年ごろです。

lorrainロランは一貫して風景画家でした。風景全体のかもしだす雰囲気、風景によってかきたてられる幻想、古代や神話への憧憬・・。正統派の画家が、それまで描くことがなかった『太陽』を最初に作品に盛り込んだのも、ロランとされています。

ロランのように、絵のことだけ考えていたアーティストというのはめずらしくありませんが、そのほかのことは破たん状態だったりして・・ロランのように『心穏やかな人』というのもめずらしい。ロランはけんかもしない。あまりに穏やかな人だったために、作品以外の、彼にまつわる逸話もほとんどない、といったぐあいです。

ひとつだけ、教科書にのってしまいそうな話があります。ロランは、ある貧しい子供を生活苦から救ってやるために、制作の手伝いをさせていました。色をつくる、筆を洗う、制作の助手といった手合いの仕事をさせていました。

この少年は、25年間ロランのもとで働いたあと仕事をやめます。その際に、「いままで、仕事に見合っただけのお金をもらっていない。まとめて退職金としてくれないと、裁判所に訴える。」とロランに食ってかかりました。なにからなにまで面倒みてやったあとの態度としては筋違いにもおもえます。

それでロランはどうしたでしょう?・・・ロランは銀行に行くと、有り金を全部おろして彼に与えました。

ロランは、自分が描いた作品についての詳細な記録を書きとどめています。195の作品のコピーに加えて、署名、日付け、作品の依頼者、所蔵先などなどがそこには記されています。『Liber Veritatis』と題されたこの記録は、現在ブリティッシュ・ミュージアムにあります。ロランの弟子にアンジェルッチョという女性がいました。ロランはこの記録を彼女に託しました。これが、ロランにまつわる最後の話です。

ゲーテは、『最高の風景画家』とロランを誉めたたえました。ターナーは、ロランの作品に恋焦がれていました。「自分の作品のそばにロランの作品が並べられたら・・」というおもいから、ターナーは当時じぶんが置かれていた立場を利用して、ロラン2作品をロンドンのナショナル・ギャラリーの所蔵にしてしまいました。

以下は、ローマにある教会(Santissima Trinita dei Monti)のロランの墓碑に記されている文句です。「クロード・ジェレー・ドゥ・ロランに捧げる。シャンパーニュ生。誉れ高い画家。田園の夜明け、夕暮れのすばらしい陽のひかりを描く。市の名士諸氏から最高の評価を得た。1682年11月23日逝去。ジョヴァンニ、ジュセッペ・ジェレー。親愛なる叔父、ひいては末裔のためにこの墓碑をささぐ。」(墓碑はラテン語。)

(2002.09.05. 点検)

※ ファイル中の画像: (上) 1642年 油彩・画布 119x168cm ルーブル美術館 (紀元前41年、カエサルなきあと、アントニウスにとりいろうと訪れれたクレオパトラ一行の上陸風景。) (下)  1644年 油彩・画布 119x150cm ルーブル美術館 これもギリシャ神話に題材をとったもの。

※ 参考文献: 「IL sogno della pittura (Vittorio Sgarbi)」

かんれんファイル

■ 8月の陽ざし→クロード・ロラン
■ 近代風景画展(横浜美術館)におけるロラン
■ アルテミジア・ジェンティレスキ(オラッツィオ・ジェンティレスキの娘)
■ あばれん坊のカラヴァッジョ

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