Jacopo Pontormo 1494-1557 Firenze
祖父がトスカーナ地方エンポリ(フィレンツェのそば)近郊ポントルメの靴屋。ポントルモは5才のとき父親(画家)を、そのすぐあとに母親を、祖父を、とつづけて亡くしました・・・孤児です。
母方の祖母のところにしばらくいて、そのあと靴屋のツテを頼って14才のとき、フィレンツェのピエーロ・ディ・コジモ(1461-1521)の工房にはいります。ちなみに時代は、レオナルドもミケランジェロもバリバリのころ。
20代半ばにはすでに画家として相当な評価を受け、ミケランジェロにベタ誉めにされ、メディチ家からの依頼もはいってきました。
明るくてシュールな色づかい。作中の人物は、現実的でイキイキとした庶民の表情をつたえています。おとなを縮小しただけの気味の悪いあかんぼうの手足はもうおしまい(!)
ふつうの人間のふつうの感情・・ポントルモの描写には『構えた』ところがありません。カラヴァッジョが、宗教画の登場人物にあえて(挑発的に)庶民を描いたのさえ、わざとらしくさえおもえるぐらいです。
ところがポントルモ、30代半ばでしだいに『閉じこもりがち』になりました。 注文に嫌気がさしたかな?以下、1568年に書かれた美術史家ヴァザーリの記述よりの引用です。
ケチで、質素で、倹約家で、マメ。自分のまわりのことを自分でしないと気がすまない性格。 それでいて・・仕事にかんしてはまったくの気紛れ屋。
おおきな家に住み、2階のアトリエにそそくさとあがっていくと、 はしごを滑車で引き上げてしまって、誰にも会わない。
ポントルモの作品を欲しがる紳士連中がたくさんいるのに、 気が向いたときしか仕事をしない。かとおもうと・・つまらない人物に二足三文で作品をあげちゃう。
(引用おわり)
はしごを滑車で引き上げて誰にも会わない?!やってみた〜い♪
他人(ひと)に会わなかったわけではないのですが、パーティーなどは極力避けた。気難し屋で、フィレンツェどころか自分の家からも出ようとしなかったポントルモ。
でも、一回だけローマを訪問している。美術史家は「なぜ?」とけげんな顔をする。「あんたにカンケイないの。」というポントルモのそっけない返事が聞こえてきそう。ミケランジェロかな、目的は?
ポントルモはニンゲンの『喜怒哀楽』をえがくのが得意でしたが、晩年になると『怒と哀』の部分ばかりがヤケに強調されてきます。
ポントルモにとってメディチ家の庇護は『必要悪』で、ほんとうは『ブルジョアの騒々しい社交癖』をけむたがっていたのかな・・?呼ばれなくてもメディチ家のパーティーに出かけていったボッティチェリ(1445-1510)とは大違い(ボッティチェリも若かったけれど・・)。
1545年、ポントルモはサン・ロレンツォ教会の壁画制作に取りかかりました。それで、、ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂壁画を凌駕したかった。「ポントルモはそののち10年の歳月を費やし、けっきょく敗北感に打ちのめされて、1557年に心臓発作で死んだ。」というふうにも記録されています。(サン・ロレンツォ教会フレスコ画はそののちブロンツィーノが手を加えていますが、現存しません。)
ポントルモ作品(Web Gallery of Art)
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/p/ponto..
死の3年前からポントルモが書いていた『日記帳』が、現在フィレンツェの国立中央図書館に保存されています。そこには、素描をはじめ・・ポントルモがだれと会って、なにを食べたか、ポントルモの心配事(病気について)などなどが記されています。ヴァザーリによると・・・ポントルモはとてもとても『死』をおそれていたそうです。
(2000.11.29.)(2002.08.27. 見直し)(2003.01.12. 点検)(2004.02.10. 点検)
※ ポントルモは、『ミケランジェロの影響&デューラーのような北ヨーロッパの版画の影響を受けた初期マニエリスムの大家』というのが一般的な見方。
※ ファイル中の画像は:(上) 『キリスト降架(部分)』1525-29 Santa Felicita, Cappella Capponi (下) 『訪問(部分)』1528-29年 Carmignano (Firenze) pieve di San Michele
※ ポントルモは通常「Jacopo(ヤコポ)」と表記され、それがポントルモの名前とされています。もし仮にこれが役場に登録されている名前だとすると、しかし「ヤコポ」はそのままではイタリア語で発音されないので、日常会話的には「Giacopo(ジャコポ)」、文語的には「Iacopo(イアコポ)」と置きかわったりする。じっさいヴァザーリは著書のなかで「Iacopo Carucci detto Pontormo」としています。でもでもかれトスカーナ人だから、「オレはハコポだ」、、な〜んていうかもよ。
■ アンドレア・デル・サルトとその弟子たち
■ ピエーロ・ディ・コジモ/オヤイモ美術家
■ ポントルモ展示会(1997年)− ポントルモの日記帳ほか(イタリア語)
『ルネサンスの画家ポントルモの日記』(宮下孝晴共著 白水社)
ポントルモの日記の邦訳ほか。あんなもん食べたこんなもん食べた・・・弟子ブロンツィーノも登場。
ちゅん吉さん 2008.03.21.
マニエリスムで検索してたどり着きました。
ケレン味のない、すっきりした美味しい水のような解説、楽しめました!!
ポントルモ、大好きです。周りに知ってる人がほとんどいないので淋しいです。
ウルビーノのビーナスを見に行ったら、ポントルモの「ヴィーナスとキューピッド」があり、感動しました。