ミケランジェロにデッサンを送り、ヴァン・ダイクがたずねた
Sofonisba Anguissola 1532-1625 Cremona
ソフォニスバ・アングイッソラは、クレモナ貴族の出身。 それにしても「アングイッソラ」というなまえ・・・!
イタリア語で「アングイッラ」は「うなぎ」。クレモナは、ロンバルディア平野の真っただ中にあって、ウナギももちろんたくさんいます。「ウナギのマリネ」はクレモナ人のおふくろの味のひとつ。
だから・・・なにも知らないイタリア人がこの名前を聞いたら、たぶん「ウナギ女」を想像して、多少ヒクヒクするとおもう))
アングイッソラは、父親が開明的だったおかげで、幼いころから音楽、ラテン語、絵画に親しみました。4人の姉妹すべてが画家になっているというのにも、1500年代に「こんなパパ」がいたというのにも、ちょっとおどろき〜
スフォニスバ・アングイッソラ作品
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/a/ang..
女性であったということ、裕福な家庭環境、アングイッソラは「食うため」に絵の修行をする必要がありませんでした。つまり、工房の師弟関係のようなしがらみいっさいぬきで、現代の学生のように、ストレートでフランクなつっこみかたを絵画に対してできたのではないかとおもいます。
絵の師匠はおなじクレモナ出身のベルナルディーノ・カンピ。アングイッソラは、ミケランジェロ(1475-1564)にデッサンを送ってチェックしてもらったりもしています。
のち、アングイッソラは肖像画家として高い評価を受け、スペイン・フィリップ2世の宮廷画家にもなりました。ソフォニスバ・アングイッソラの作品として目されているものが50作品ほど残されています。
若き日のヴァン・ダイク(1599-1641)が晩年のアングイッソラを訪問し、アングイッソラを描いて絵のアドバイスを受けたことが、ヴァン・ダイクの手帖に記されています。
たぶん、クラシックなイミでのアドバイスだったとおもうのですが、それにしても、アングイッソラがそういう若きアーティストの訪問を受ける立場にいたというのは、おっもしろい。。93才という長寿も、アングイッソラを「美術界の生き証人」のような立場に置いていたのかな、、?!
(2001.10.07 点検)(2002.02.23 点検)(2002.09.03. 見直し)(2005.01.06. 見回り)
※ 「Anguissola」の読み方について・・現代イタリア語的に読めばたぶん「アングイッソーラ」。ただ「アングイッソーラ」なのか「アングイッソラ」なのか確証がありません。「アンギッソラ」という呼び方は現代イタリア語的には正確でないけれど、当時はラテン語的な読み方をしたりとかもあったし、そういう意味では彼女をなんと呼ぶのがいちばん正しいのか、いつかわかる日がくるまでおあずけ。
※ ファイル中の画像は、ミラノ・ブレーラ美術館蔵アングイッソラ作品「妹ミネルヴァの肖像(Ritratto della sorella Minerva (1560ごろ)」。