EKAKINOKI

メロッツォとシクストゥス4世と美の信仰

メロッツォ・ダ・フォルリ
Melozzo da Forli(Melozzo di Giuliano degli Ambrogi) 1438-1494 Forli

Melozzo da Forliイタリア美術にもモチロン、古典派とか印象派とかナントカ派、あるいはアブストラクトとかインスタレーションとかがあるわけですが、そういった表現手法より共通してきわだっているとおもうのが『美への信仰』・・・そんなふうにおもうことがあります。

肖像画ひとつをとっても、ブロンツィーノとホルバインとでは色使いのたのしさがチガウ、でしょ?近代絵画を見ていても、ふつう・・そこにはさまざまな表現手法が出没し、絵そのものよりむしろ表現手法のほうが雄弁だったりするようにもおもえたりしますが、そこでも、イタリアの画匠たちの『美への信仰』はなにものにもまして優先されています。必要条件みたいなモン?

Melozzo da Forliメロッツォの作品にもまた、イタリア美術のこうした特徴がよくでているようにおもいます。ヴァザーリ(1511-74)は、「メロッツォはベノッツォ・ゴッツォリ(1421-97)に似ている。」と記しています。

う〜ん、、そうかなぁ・・・たとえばリカルディ宮殿(フィレンツェ)の、最近修復されたみごとなゴッツォリ作品などをみていると、あんましそんなかんじはしないけど・・・もっとも、ヴァザーリの時代のひとの目にはそう映るのかもしれません。

メロッツォ作品
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/m/melozzo/

メロッツォが生まれたフォルリという町は、サン・マリーノからもボローニャからも、まあそんなに遠くはないところ・・・トリーノを首府とするピエモンテ地方から流れてくるポー川がアドリア海に注ぐあたりにあるリミニ(夏場の行楽地)という町のそばです。それで名前もメロッツォ・ダ・フォルリ( da = 〜から/出身 )。

メロッツォはこのフォルリで画業をはじめ、のちマンテーニャなどとの接触もあったりしますが、作風からすると・・・ウルビーノ公フェデリコ・ダ・モンテフェルトロの宮廷で出会った遠近法の大家ピエーロ・デッラ・フランチェスカの影響のほうが大きいとされています。たしかに似てるとこはありますね。(デッラ・フランチェスカは遠近法の効果にこだわりすぎてたというか、ほれ込みすぎてたとこがあるとおもうけど・・)

Melozzo da Forliウルビーノ公の宮廷では、当時、ピエーロ・デッラ・フランチェスカ、ルーカ・シニョレッリ(1445-1523)、ジョヴァンニ・サンティ(ラファエロの父)、ベルグエテ(スペイン人)、そのほかにもオランダ人画家などが働いていました。このウルビーノ公が、教皇シクストゥス4世(在位1471-84年)にメロッツォを紹介してから、メロッツォは『教皇おかかえの画家』になります。

マキャベッリは、シクストゥス4世のことを、『教皇にできることの可能性をはじめて試したひと』と表現しています。そのぐらい政治力をもっていたひとみたいです。道を広くしてローマの町並みを整えたのも、システィーナ礼拝堂、ヴァティカン図書館を創設したのもこのシクストゥス4世です。

Melozzo da Forliシクストゥス4世はじぶんの甥っ子をミラノ、スフォルツァ家のカテリーナと結婚させ、その甥っ子にあげる所領をめぐってメディチ家のロレンツォ・イル・マニフィコと対峙しました。左の作品は、メロッツォがシクストゥス4世とその甥っ子たちを描いたものです。

1478年にフィレンツェの大聖堂で起こったパッツィ家によるメディチ家暗殺事件はあまりにも有名ですが、背後からこの事件の糸を引いていたのはシクストゥス4世だったと言われるのには、こうしたいきさつがありました。

ところで・・・シクストゥス4世の甥と結婚し、のちに歴史のヒロインとなるカテリーナ・スフォルツァ(1463-1509)がなに不自由なくローマで暮らしていた時期と(1477-84)、メロッツォがローマで仕事をしていた時期は重なっています。(ローマにはそのころ、ペルジーノ、ドメニコ・ギルランダイオ、ボッティチェッリ、マンテーニャ・・などもいました。)

メロッツォはカテリーナ・スフォルツァの領地出身の画家で、しかも教皇に雇われて仕事をしていましたし、いっぽうのカテリーナ・スフォルツァは教皇の甥っ子と結婚していたのですから、メロッツォ・ダ・フォルリとカテリーナ・スフォルツァのふたりは顔見しりだったはずです。ふたりの関係があまり史料にでてこないのは、お互いにそれほど惹き付けられるところがなかったから?

(2000.12.05. 加筆)(2002.08.27. 見直し)(2004.02.21. 見直し・画像追加)

※ 写真はいずれもヴァティカン美術館(Musei Vaticani)にて撮影。

※ フォルリはローマ時代からの都市。大都市の通勤距離圏にあって、その気になればすごく発展する可能性があるのに、交通機関の接続が悪く、へたをすると行き着くのに一日がかりになってしまうような、イタリアにはよくあるパターンの地方都市。ボローニャからは1時間に2本ほど電車がでています。所要時間は50分ぐらい。ヨーロッパ最古の大学(1088年創立)とされるボローニャ大学の一部もあります。

※ ロシア人観光客の誘致合戦でヴェネツィアに勝ったリミニ空港には、ロシアからの『パックツアー』が到来します。

かんれんファイル

■ ウルビーノ公フェデリコ・ダ・モンテフェルトロ
■ ピエーロ・デッラ・フランチェスカ
■ ミズ・ルネサンス!カテリーナ・スフォルツァ
■ ロレンツォ・イル・マニフィコの暗殺事件(シクストゥス4世について)
■ ベノッツォ・ゴッツォリ
■ フォルリのかんたんマップ
■ ヴァザーリの『美術家列伝』どこまでほんと?

絵画 ロシア イタリア