アントネッロ・ダ・メッシーナ
Antonello da Messina 1430?-1479 Messina
アントネッロ・ダ・メッシーナはシチリア人。シチリアはもうムチャクチャにいろいろな侵入者が到来したところ。(アラブ人、フランス人、スペイン人。古くは、フェニキア、ギリシャ、カルタゴ、ローマ帝国、ヴァンダル、東ゴート、東ローマ帝国、サラセン人、ノルマン人・・・・・)アラブ系から北欧金髪系までなんでもアリです。
さらにシチリアはスペイン系王国の支配下にながらくおかれていたので、いわゆるイタリア人(そんなのあっか?)よりスペイン人に気性が似ているということもありうるわけで、アントネッロ・ダ・メッシーナの作品にも、どこかスペイン人のアクの強さみたいのが感じられたりします。
アントネッロ・ダ・メッシーナ作品(Web Gallery of Art)
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/a/antonell/
アントネッロ・ダ・メッシーナは、シチリア、ナポリで絵画の修行をしました。フランドル地方ブリュージュの画家ジョンが油彩画の技法を編みだしたのが、ちょうどこの頃です(それまではテンペラをおもとする水彩)。そして油彩画は、フィレンツェ商人の手でフィレンツェ、ナポリなどに入ってきていました。アントネッロ・ダ・メッシーナも、ナポリで仕事をしていた頃、ヤン・エイク(Jan van Eyck 1390ごろ-1441)の油彩画を見ています。(つぎの画像:ヤン・ヴァン・エイク作/ロンドン/National Gallery)
アントネッロは油彩画に感動すると、すぐさまフランドル地方ブリュージュに行った。そして油彩画を編みだし、その技法をかたく秘密にしていたジョンに会う。晩年のジョンはアントネッロの情熱にほだされてその秘密を伝授。アントネッロは、ジョンの死にいたるまでフランドル派の技法を学び、のちイタリアに戻ってきた。(ヴァザーリ)
ほんとうにアントネッロ・ダ・メッシーナがフランドル地方ブリュージュまで行ったかどうかは誰も知りません。「オレ、行ってないよ・・」というアントネッロ・ダ・メッシーナの声が聞こえてくるような気がしないでもない。
かりにアントネッロ・ダ・メッシーナがブリュージュまで行かなかったにしても・・・ナポリの統治者であったアンジュー家、アラゴン家に雇われていたフランドル派の画家たちを通して、あるいはのちに知り合ったピエーロ・デッラ・フランチェスカが働いていたウルビーノ公フェデリーコの宮廷にいたフランドル派や南仏の画家たちを通して・・・アントネッロ・ダ・メッシーナがなんらかの方法で、独自にフランドル派の画風と油彩画技法を習得したのはたしかです。
ヤン・ヴァン・エイク作品(Web Gallery of Art)
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/e/eyck_van..
1474-76年、アントネッロ・ダ・メッシーナはヴェネツィアに滞在しています。このとき、アントネッロ・ダ・メッシーナが描いた油彩画技法はヴェネツィアの画家たちに大きなショックを与えました。ヴェネツィアではベッリーニが活躍していたころ・・・アントネッロ・ダ・メッシーナの滞在がヴェネツィア派に与えた影響はひじょうに大きいものでした。
また、アントネッロ・ダ・メッシーナは、どこのだれともわからぬ市井人の肖像画をかなり残しています。当時は、金持ちの注文主が芸術家に作品を依頼するというのがごくふつうのパターンでしたから、無名人の肖像画なんてのは、ちょっとどころかぜんぜんフツウではなかったはず。
ところがフランドルの画家たちというのはかなりリアリズムの傾向が強かったですから、アントネッロ・ダ・メッシーナがごくフツウのひとたちの肖像画を描いたというのも、もしかするとフランドル派の影響かもしれない。んっ?じゃ行ったのかな、やっぱりフランドルへ?ん〜、行ったのかもしれない、、、
フランドルに行ったか行かなかったかはさておいても、アントネッロ・ダ・メッシーナはすでにかなりの旅行家でした。東に西にと移動することがまるで彼の人生でもあるかのように、いろんなところに出没している。(まさか、、うお座?)しかもどこといって長逗留した気配はない。(ヴェネツィアも2年といなかった。)
ちょっと時代から浮き上がっているひと、ってそんなカンジがしないでもないけれど・・・なにかこう、強烈な目的(たぶん油彩画表現に命を賭けた・・)に向かって邁進していたみたいな、そんな印象を、じっさいにアントネッロ・ダ・メッシーナの作品を見ていても強く受けます。これ見て↓(ローマのボルゲーゼ美術館にあるアントネッロ・ダ・メッシーナ作肖像画/1475年)
http://www.galleriaborghese.it/borghese/it/..
□ フランドル派から学んだシチリアーノ
■ アントネッロに捧げるボチェッリの歌
■ ルーヴル美術館のダ・メッシーナ作品
■ ヴァザーリの美術史どこまでホント?
(2000.12.16. 加筆)(2002.08.28. 見直し)(2004.03.20. 見直し)
※ ファイル中の画像:(上)1475年/木板/36x30cm/ルーヴル美術館 (下)Annunciata/1477年/Galleria Nazionale, Palermo
※ ヒューベルト・ヴァン・エイク(Hubert van Eyck 1426年没)はヤン・ヴァン・エイクの兄弟(とされています)。作品↓(Web Gallery of Art)
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/e/eyck_van/h..