アーティストと幾何学
Piero della Francesca 1416/17-1492(Arezzo)
ウフィツィ美術館にある横顔の男と女の絵・・・あれを描いたのがピエーロ・デッラ・フランチェスカです。
Battista Sforza e Federico da Montefeltro (1465-70) / Galleria degli Uffizi, Firenze
ピエーロ・デッラ・フランチェスカは、1460年代、この肖像画の主人公であるウルビーノ公フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの宮廷で仕事をしていました。ほかにもラファエッロのオヤジとか、おかかえアーティストがたくさんこの宮廷にはいました。ピエーロ・デッラ・フランチェスカが数々の傑作を描いたのもこの時期です。
ピエーロ・デッラ・フランチェスカはトスカーナ地方アレッツォ近郊のフランチェスカ村で生まれました。アレッツォはフィレンツェより南にあり、彼が生まれるすこし前の1384年、戦争に負けてフィレンツェに併合されています。
ピエーロ・デッラ・フランチェスカが学んだのはフィレンツェ派の絵画で、1435年ごろよりドメニコ・ヴェネツィアーノ(1410-61)のアシスタントをつとめています。ヴェネツィアーノはピエーロ・デッラ・フランチェスカがおおきく影響を受けたとされる画家です。
ピエーロ・デッラ・フランチェスカ作品(Web Gallery of Art)
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/p/piero/francesc/
フェデリーコの依頼・・・『理想都市』1475年 / Galleria Nazionale delle Marche, Urbino
1450年(36才)、リミニ、フェッラーラに旅行し、徹底した写実表現のフランドル派画家たちに出会ったこと、マントヴァのゴンザーガ家に出入りしていたフィレンツェの建築家レオン・バティスタ・アルベルティ(1404-72:)に感銘を受けたこと、このふたつは、ピエーロ・デッラ・フランチェスカの美術家としてありかたを雄弁に物語っていないでしょうか?
絵画理論の裏づけを幾何学や解剖学などの科学に求め(あるいは理論を絵画で実践したのかもしれないけど)、情熱の半分以上をそこに注いだアーティスト、美術家であるとともに科学者であった人たち・・・ピエーロ・デッラ・フランチェスカもそういうひとりだったとおもいます。晩年には視力を失いなおかつ幾何学理論の研究に没頭していた。
※ 1996年にレッジョ・エミリア地方のパニッツィ図書館で見つかったピエーロ・デッラ・フランチェスカ直筆の文書。遠近法など幾何学について。(1921年、科学者で古書蒐集家ジャンバティスタ・ヴェントゥーリにより同図書館の所蔵となる。)
ピエーロ・デッラ・フランチェスカの影響はルネサンス時代のあらゆるところに見え隠れしています。ピエーロ・デッラ・フランチェスカに出会ったアントネッロ・ダ・メッシーナも影響を受けているし、たぶん、、教育者としての天性もあったんじゃないかな。1400年代イタリア美術界のシンボル的な存在です。
※ ピエーロ・デッラ・フランチェスカについての本(Silavana Editoriale)
□ アーティストと幾何学
■ アレッツォのフレスコ画修復
■ デッラ・フランチェスカはココ
■ ドメニコ・ヴェネツィアーノ(1410-61)
■ オヤイモ美術家
■ アントネッロ・ダ・メッシーナ
■ アレッツォの町
■ ウルビーノ公モンテフェルトロ
■ ウルビーノのかんたんマップ
(2000.12.19. 加筆)(2001.04.07. 点検)(2002.03.18. 加筆)(2002.08.29. 見直し)(2005.05.23. 見回り)