EKAKINOKI

ポップ・アート展

東京での展示(bunkamura/2004.11.06-12.26)はもうおわってしまったけれど、この展示会はこれから日本全国を巡回する。

bunkamura展示会のチラシ・・・ 大阪:大丸ミュージアム・梅田 2005.01.19-02.06 // 群馬:群馬県立近代美術館 02.19-03.27 // 高知:高知県立美術館 04.03-05.22 // 広島:広島現代美術館 05.29-07.10 // 北海道:北海道立近代美術館 07.26-08.28 // 名古屋:名古屋市美術館 09.10-10.30

ウォーホル、バスキア、ロイ・リキテンシュタイン、、、、、この展示会がおもしろいのは、コレクションがポルトガルのベラルド美術館のもので、アメリカのポップ・アートだけではなく、ヨーロッパのポップ・アートも鳥瞰できるところにある。

展示されていたヨーロッパのアートについては、それがポップ・アートなのかどうか、議論がわかれるものも多いかもしれない。イタリアのアダミ、ロテッラ、スペインやポルトガルのアレアル、カルヴェ、パローロ、、、でもポップアート・スピリットはやはり濃厚だよ。

かりにアメリカン・ポップを基準にすれば、ヨーロピアン・ポップがそれほどすんなりポップとして認識できなくても、それは、美術の伝統が濃厚なヨーロッパと、そういうものからだんぜん自由なアメリカの文化土壌の違いだとおもう。

宣伝ポスターひとつとってみたってそう。ヨーロッパのポップ・アートはどこか美術の伝統を意識させる。アメリカのポップ・アートは、技法にしても社会への提示方法にしても、まるごとポップでキモチいいぐらいイサギがいい。

また、このポップ・アート展ではフォトリアリズム(あるいはスーパーリアリズム)もとりあげられていた。

ポップ・アートとはいっても、盛期のポップ・アートはすでに美術の殿堂入りしている、いわば古典的作品だ。だけどポップなスピリットはポップ以外のアートにだって滔滔(とうとう)と流れてる。そういうポップなスピリットをもとに「ポップのとらえ方」を再構築してみるのも、おもしろい。

そもそも、ポップなスピリットってなんだろう?!

ポップアートがポップアートとしての特徴を際立たせたのは、なによりも、、近代産業が成長し、大量生産が可能になり、宣伝広告のたぐいが生活になかにあふれ、だれもがおなじものを買えるようになった大衆消費文明の現代においてだった。

ありとあらゆるテクノロジーの恩恵を受け、安い大量生産品でニーズをまかない、ゴミが街に溢れる時代に、きれいきれいな街並みや貴族的な生活を描いてたって、疲れるじゃん。

だれにでも理解できる共通のイメージをつかった宣伝広告などは、ゴッホのヒマワリよりもゴーギャンのタヒチのおんなたちよりも、日常生活でじっさいに目にふれるものであり、また欲望の具体的な対象にちがいなかった。

そういう現実にアーティストは敏感に反応し、有名女優、パスタやソースの宣伝、洗濯機や冷蔵庫やバイクや自動車、うす汚れたガソリンスタンド、、、高尚な連中がけっしてとりあげようとはしないそれらを、そのままズバリ、キャンバスの中心にすえた。

そういうスピリットはいつの時代にもあった。ジョットやマンテーニャは、ビザンチン風の聖人たちにかえて身の回りのひとたちを描き込んだし、、カラヴァッジョはそれでもモノ足りなくて、聖書を、まるごと庶民の姿で置き換えた。

見ているようで見ていないゲンジツをとりあげてボクらをおどろかせる、、見ているうちにさっぱりした気分になってユカイ、、そういうのがポップなスピリットなんじゃ?!

(2005.01.01.)(2006.12.15, 見回り)

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