実は今学校の論文で具象画と抽象画のちがいについての論文をかいている真っ最中なんですが、かなり行き詰ってる状態です。・・・難しい。何故かというと、
抽象画と具象画って形としては違っていても画家が自分の気持ちとか感情をキャンバスに描くということは一緒だから区別するのはおかしいのでは、という説があったり、具象絵画と抽象絵画の概念というのは違うからまったく別物でしょという説があったり・・・
えかきのき
あの、まず「歴史的推移」というのがあるのですう。それと、、どういう立場からものを言うかによってもちがってくる。そこらへんをおさえると、だいたいのとこは説明がつくとおもうけど、、
しゃもじさん
この論文についての面接が学校であったんですけど、では抽象画って一体何なのか、具象画って一体何なのかというところからして先生と意見が違っていて(まぁ論文なので他人と意見が違うのは多々あることだけれども)
カンディンスキーの描いた絵は抽象画であると一般的にそういわれていますが、先ほどと少し関係して、具象とか抽象とか区別なしに画家の気持ちが大切なのであって、そうやってわけるものじゃないのかもとか頭の中でぐるぐる回ってしまって整理がつかない状態です。
えかきのき
抽象表現といってもカンディンスキーとポロックとではチガウようにいろんな考え方があったわけで、、そういう史実のどこに具象と抽象の線引きをするかは、ひとそれぞれちがってトーゼンですよネ。
あと、、研究者の立場からなのか、アーティストなのか、傍観者なのか、、、そこらへんがまざってたりして。。しゃもじさんの場合は、あくまでも研究者の立場でしょ?
しゃもじさん
研究したい内容としては、
抽象画についてはその幾何学的、そして視覚的に訴えるスタイルはなにが原因でどういう理由から生まれたのか。 具象画については、その写実的なおかつ、との作品の作者がその画面を絵にしたのは何故か。また細かく描写された人物などの肉体構造の美を描きあらわした理由は何なのかに迫る。
えかきのき
いっしょうけんめいかんがえてくださ〜い。でも、アタマのなかグルグルってのは、ふっきれて開花する寸前かもしれませんネ♪
しゃもじさん
一人一人人間が違うように画家に概念の違いこそはあるものの、具象と抽象と区別されていても、それぞれの作品がアートとして成り立っている以上は同じ見方でそれらの作品をみてよいのだろうか・・・
えかきのき
現代人にとって抽象表現は既成事実であって、いまさら「抽象か具象か・・」なんて迷うアーティストはいないでしょ、、多かれ少なかれみんなそんなことは承知で、それではどういう表現をするかって、、
だから正確に言うと・・・
どんなにリアルに描いてもそれはもはや「リアリズム」ではなく、どんなにアブストラクト(抽象)に描いてもそれはもはや「アブストラクト」ではなく、すべて・・・「アブストラクト以降のナニカ」、、なんじゃない?
描くほうにしても見るほうにしても感動したいんで、抽象か具象かなんてもうどうでもいいだろうし、、
ただこういう考え方は比較的最近のもので、たとえば、抽象表現が出現したころのひとたちはけっしてそうは考えなかった。あるいは、ルネサンス絵画にしても、現代人と当時のニンゲンとではみかたがちがっただろうし、、
余談・・・
あるとき、大学でも教えたことがあるガンガンの理論家アーティストのアトリエにあそびにいったの。カラーフィールドみたいな作品が多いひとで、造形作品はルーチョ・フォンタナ(空間主義)かよみたいな、、、
それでね、いろいろと作品を見せてもらってるうちに、さいごのほうになって・・・「こういうのもアル」みたいなかんじで、5メーター四方はあるようなばかでかい作品を、「恥ずかしくてふだんはみせないんだよ」とか言いながら、ひっぱり出してきた。
それが具象。中東っぽい建物の手前にあるプールで、何人かの裸婦があそんでる。モロ裸婦。。鮮やかな色彩が、なんかポントルモが現代に飛び出してきた〜ってカンジ。それでおもわず・・・
「アブストラクトなしに発展した現代絵画はこんなだったかも、、」みたいなこと言ったの。そしたら、同席していたべつのアーティストが即座にこう言った・・・「抽象がなかったら、この作品は生まれてなかったよ!」
(2005.02.10.)