名前は比較的地味、作品もあんまし残っていなかったり・・ところがいろいろなアーティストの直接的間接的指南役を果たしている、そんな気になる美術家というのがいます。
その時代、その土地の指導者的役割をになう立場にいて、多くのアーティストがなんらかの機会にその『オヤイモ美術家』に出会い、結果的にアーティストたちの『参照元』になっている・・・
たんに実力だけではなく、教育者としての理想的な資質というか、晴れた日の海のような包容力というか、そんななにかが・・『オヤイモ美術家』たちに共通してあるようにもおもえます。なぜならいっぽうで、作品を通して多大な影響を後世に与えた『巨匠』たちのなかには『我』が強く、あるいは作品の制作にすべてを集中していたからか、現実にアーティストたちの輪の中心にいたとはちょっと考えにくい場合もけっこうあるからです。
たとえばヴェロッキオ(Andrea del Verrocchio 1435-88)などはどうでしょう?ヴェロッキオは彫金家として出発し、絵画彫刻作品などを残しています。
ただはっきりとヴェロッキオの作品だというのはほとんどなくて、ウフィツィ美術館にあるつぎの作品「キリストの洗礼(1473年ごろ/ダ・ヴィンチとの合作)」が、かろうじてヴェロッキオ作品のイメージになってる。
Photo courtesy of Michael Reed
ヴェロッキオ作品(Web Gallery of Art)
(Andrea del Verrocchio 1435-88)
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/v/veroc...
ヴェロッキオの工房には、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ボッティチェッリ、ロレンツォ・ディ・クレーディ、ペルジーノ(ラファエッロの師匠)らがいました。
ロレンツォ・ディ・クレーディ作品(Web Gallery of Art)
(Lorenzo di Credi 1459?-1537)
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/l/lorenzo/...
ペルジーノ作品(Web Gallery of Art)
(Pietro Perugino 1450?-1523)
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/p/perug..
ピエーロ・ディ・コジモ(Piero di Cosimo 1462-1521)なども、『オヤイモ美術家』のひとりではないでしょうか・・(クエスチョンマーク付き)。
フィレンツェのオスペダーレ・デッリ・インノチェンティにあるピエーロ・ディ・コジモの作品(アレクサンドリアの聖カテリーナ 1493年)
ピエーロ・ディ・コジモ作品(Web Gallery of Art)
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/p/piero/...
ピエーロ・ディ・コジモの著明な弟子にはアンドレア・デル・サルトがいます。このアンドレア・デル・サルトからは、ポントルモやロッソ・フィオレンティーノへとつながっていきます。
ヴェロッキオやピエーロ・ディ・コジモのように、作品が今日まであまり残っていないというのはかえって興味をあおります。いっぽうで、残っている作品はけっこうあるけれども、さらに教育者的人望もあったかなとおもわれるのは・・・たとえばヴェネツィアのジョヴァンニ・ベッリーニ、アレッツォのピエーロ・デッラ・フランチェスカ、すこし時代がさがってボローニャのグイード・レーニなど。
ベッリーニは、大きな工房のあるじであったということもあって弟子も多いです。そのなかにはティツィアーノや、のちに修道僧になってしまったロレンツォ・ロットなどがいました。もベッリーニの工房にはジョルジョーネも出入りしていました。また、ピエーロ・デッラ・フランチェスカのもとには、アントネッロ・ダ・メッシーナをはじめいろいろなアーティストがやってきて影響を受けています。
ロレンツォ・ロット作品(Web Gallery of Art)
(Lorenzo Lotto 1480?-1556)
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/l/lotto...
グイード・レーニはずいぶんと時代がさがるので、美術家としてのあり方もすこしちがってきていて、『リーディング・アーティスト』と言ったほうがふさわしいかもしれませんね。
レーニ作『サン・セバスティアーノ(1615 ローマ・カピトリーニ美術館)』
グイド・レーニ作品(Web Gallery of Art)
(Guido Reni 1575-1642)
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/r/reni/
その画風は明解かつ優雅。当代一の画家と目されていたレーニの指南をたくさんの画家があおいでいます。しかし晩年はかけごとに熱中して仕事がなおざりになり(よくあったはなし・・)、『本人の手がはいっていない『工房作』みたいのを頻繁に製造していたみたいです。
(2002.09.04.)(2003.04.02. 点検)(2004.02.24. 画像入れ替え)