EKAKINOKI

和の風景にマッチするジーザス

芥川龍之介の『侏儒の言葉』の一節から引用・・・

「我々の祖先は『神』と言う言葉に衣冠束帯の人物をほうふつしていた。しかし我々は同じ言葉に髯の長い西洋人をほうふつしている。 」

「画力三百年、書力五百年、文章の力は千古無窮というが、『日本人が想像する神』にしたところでこうも変わってしまうのだから、文章の力とて知れたものではない。」

(引用おわり)

William Blake

「古代の日々」部分 ウィリアム・ブレイク エッチング・水彩 23.3 x 16.8 cm  1794年 British Museum(London): 21の銅板画で知られるブレイク(詩人)も、生存中はアーティストとしてかえりみられることがなかった。

キリスト像として今みなが想像するのは、映画にでてくるような長身でブロンドで、カッコいいタイプ・・・というか、ルネサンス時代からすでにそんなカンジだった。しかし、そもそもキリストがほんとのところどんなだったか、さだかではありません。ロバにまたがった黒髪のおじさんっぽかった・・・っていうひともいる。

あるとき、夕焼け雲を眺めていました。太陽はすでに山の背後に姿を消し、正面の山はまっくろにみえます。こころもち深みを帯びた青色の空、夕焼け色に染まったちりぢりの雲はティエポロ(1696-1770)が描いた雲みたい。眼下に見える田園のものすごく高いところをタカかトンビが二羽舞っています。

ところが雨あがりのせいか、ところどころ雲がボテーっと塊になっていて、そこだけ、照り返しの色がやけに重々しい。ミケランジェロやラファエッロの天使が舞っているって雰囲気じゃない。

こんな日本の湿度と空気には、誰が描いた神の姿がマッチしているだろう、、?ティツィアーノじゃない、、ティントレットでもない、、いろいろな作品を思い浮かべているうちに、ふと、ひとつの神の姿がそこにピタリとおさまりました。

ウィリアム・ブレイク(William Blake 1757-1827)!・・・でも正確に言うと、ふたつの作品が合成された神の姿をおもい浮かべていました。

Matthias Grunewald

「キリストの復活」教会内のパネル部分 マティアス・グリューネヴァルト 1515年

神の姿は、グリューネヴァルト(Matthias Grunewald1470/75-1528)の『キリストの復活(下画像)』。これを、ブレイクの『古代の日々(上画像)』みたいにもうちょっと哲学的にするどく仕上げて、手から光線かなにかがピカピカッーと出ていて・・・

全体のイメージとしてはブレイクのもの、といったほうがいいかもしれない、、、、、そんな神の姿が、そのとき見ていた日本の夕焼けにはピッタリにおもえたのです。

かなりマジで、ブレイクの作品にそんなのがあったのじゃないかとおもいました。なぜこのふたつの作品がアタマのなかで重なり合ったのかは分かりません。ふたりともかなりSFっぽくて、ちょっと似てる。それとも、、温泉でいい気分になってたから??

(2002.03.26.)(2004.12.15. 見回り)

ブレイク作品
http://www.ibiblio.org/wm/paint/auth/blake/
グリューネヴァルト作品
http://www.ibiblio.org/wm/paint/auth/grunewald/

かんれんファイル

■ 画家の狂気(ブレイク/マンテーニャ)
■ イエスの顔

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