EKAKINOKI

版画でアートを宣伝した時代

キアロスクーロ/ルネサンスとバロックの多色木版画
国立西洋美術館 2005.10.08-12.11

1500、1600年代彩色版画の展示会。

西洋の版画っていうとシャープな印象が強いけれど、ウーゴ・ダ・カルピ(Ugo da Carpi 1480?-1532)の作品なんかはすごく絵画的だとおもったし、えっ、、ベッカフーミ?!まさかベッカフーミのしかも版画にこの展示会でお目にかかれるとはおもってもなかった。(ベッカフーミはかなりいろんなことをやってたらしい。)彼の版画のまろやかなラインはすっごく印象に残った〜。

展示会のハイライトはなんといっても、マンテーニャの「カエサルの凱旋(原画はロンドンのハンプトン・コート宮所蔵)」を版画にしたやつ!?40センチ四方ぐらいの作品がいくつか並んでるんだけど、なかでも「紫色に金色のハイライトがはいっている作品」は、版画の作者アンドレア・アンドレアーニ(Andrea Andreani 1558/59-1629)が依頼主マントヴァ公におまけに贈呈した作品で、なぜかまるでじぶんがもらったかのような錯覚をおぼえるほどヴィヴィッドな一点でした。

クラナハとか、北方系の版画もあったけど、ともかくイタリアの版画がすごく人間的で優しくって、さっすがイタリア〜、でした。

展示会のチラシ

でね、そうして質量ともに充実した版画の山のなかを歩いていると、、ちょっとね、おなじように充実した絵画の展示会を見るときとおなじスタンスでは、なにかおもうように脇の小道にまでは入っていけない、ちょっとしたギャップっていうかズレ、みたいのをかんじてしまった。

「版画はたんなる複製じゃなくひとつのれっきとした芸術作品」・・・ うん、現代人はみんなたいがいそうおもってるよね〜。そしてそういうスタンスで版画を鑑賞してる。だけどすくなくとも1500、1600年代の版画をみるときにそれは言えてるんだろうか?ちょっとまてよ、版画ってそもそもなんなんだ?!そんな疑問がひしひしと押し寄せて来たのでした。

Beccafumi

展示会図録より・・・ベッカフーミの「横たわるひとびと / 1544-46ごろ」

展示作品のなかには、ラファエロ、ティツィアーノ、パルミジャニーノ、グイード・レーニなどの絵を版画におこしたものが数多くありました。これらは複製だよね〜?版画のルーツはよくはわからないけれど、でもふつうに考えると版画ってのは、おなじ絵を何枚も作ってたくさんのひとに見てもらう、、そこらへんがルーツのはず。

もちろんその過程で、版画のよさとか、版画によってより表現できるすばらしさとかに目覚めて、版画がどんどんひとつの芸術として確立していった、とかはあるとおもう。たとえばデューラー。

さらにより現代になればなるほど、版画は版画として独自の発展を遂げていく。それもある。その結果として、現代人はいちおうに「版画は版画」って認識しているし、純粋に「独立した芸術作品」として版画を鑑賞する。

それはそれでいいんだけど、、そもそもそういうつもりで作ったんじゃないものをそういう現代人のおもいこみで見ても、どこかですっきりしないものを感じちゃうとかいうこともあるんじゃない?

ラファエロにしたって複製としての版画の意味を積極的に利用しようとしたわけだし。もちろんすこしでもいいものを作ろうとはするんだけど、いずれにしても版画は、まず、すこしでも多くのひとにじぶんの作品をみてもらうための方便ではあったわけで・・・

だからそういう見方をしたほうがむしろ作品との距離がぐっと縮まるっていうか、キサクにそれらの版画作品とおしゃべりできるっていうか、たんじゅんにおもしろいじゃん、、ってこともあるんじゃないかなぁ〜。。。

(2005.12.04.)

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