EKAKINOKI

サナギ状態の美術館

いま欧米の美術館はさまざまな課題を前にし、小手先の解決ではすまされない【ターニング・ポイント】にあることをかなり鮮烈に意識しています。

『集めて見せる』のが美術館なのか、客寄せの『企画展』を打ちあげ続けるのか・・また一方で、これからさらに増え続ける作品の保管方法について具体的な解決策も見い出さなくてはなりません。

なにをするにしても、投資規模は以前とくらべて格段に大きく、将来の展望がはっきりしてくれないとたしかに困ります。こうした美術館の模索とストレスはいったいどこからきているのでしょう?

たぶんそれは、現代アートと、現代という時代のきわめて動的な性格が、1700年代の啓蒙主義時代に生まれた美術館の静的な枠におさまりきらなくなっている、というところにあるのではないでしょうか?美術館がいくら現代アートをとりいれても、自分自身はあいかわらず旧態依然とした世界にとどまっていれば、時代とのギャップはだれの目にも明らかです。

美術館もいろいろとやっています。『集めて見せる』だけではなく、一般のひとたちがアートやアーティストにふれる場を提供しようとさまざまな企画を打ち出したり、積極的に新しい形のアートにも取り組んだり・・かなり割り切った『美術館ビジネス』を展開して生き残りをかけているところもあります。

こうしたさまざまな努力は、より血が通った美術館、よりイキイキとした美術館をすこしずつ実現していくでしょう。しかし美術館はしょせん美術館なのです。ちょっとコレクターで、ちょっと評論家で、ちょっとアーティストなところもあるけれど・・美術館の『集めて見せる』というDNAはどうすることもできません。それに、それはそれで社会的に欠かすことができない存在です。

では、美術館はじぶんの使命をよりよく果たしていけばそれでよいのでしょうか?新しい時代とのギャップには目をつぶるしかないのでしょうか?そうはおもいません。美術館が美術館以外のものになることはたぶん不可能ですが、たとえば美術館を取り巻くひとたちとの関係は、変えていくことができます。美術館を取り巻くひとたちというのは、たとえば観客でありアーティストたちです。

そういうひとたちと美術館との関係が、たとえばたんなるヴィジターとホストとかではなくなったとき、ヴィジターがよりアクティヴに(積極的に)美術館とかかわるようになったとき、美術館の性質もおのずから変わっていくのではないでしょうか?

美術館さん、そろそろここらでもうすこしおもての世界を見なさい、いろいろなひととおつき合いをしなさい、ということなのかもしれません・・。どうもここらあたりに、美術館が変身していく可能性、将来の美術館像の糸口があるような気がしています。

(2001.11.20.)(2003.02.03. 『美術館がコレクター化すれば・・← 2003.02.03. 削除』ファイルより分割)

絵画 ロシア イタリア