カスパー・ダーヴィド・フリードリヒ
Caspar David Friedrich 1774-1840
Vittorio Sgarbi 評訳
「画家は目の前にあるものを描くだけではだめだ。自分自身の内面を描かなくてはいけない。もし自分のなかになにも見つけられなければ、目の前にあるものも描かないほうがいい。」これがドイツの偉大な画家フリードリヒが指針とした言葉。
「コサックのような髭、厳しい眼光。内向的。孤独癖。病的で、なにかにとりつかれたようなかんじ。社会からまったく孤立していた。」「フリードリヒは、まるで物悲しい廃虚のようだ。彼は赤ん坊のように泣いていた。」20年来付き合いのあったロシアの詩人、ジュコフスキー(※)が1840年に彼のことをこう語った。それからまもなくフリードリヒは死ぬ。
フリードリヒのアトリエは、イーゼルと椅子とテーブルがあるだけでまったくのからっぽだった。壁には「T に」と書かれていたが、その意味はだれにも分からなかった。隣の部屋にはオイルの入ったビンとぼろきれ布が押し込められている。余計なものがあると心を邪魔されると、彼は考えていた。フリードリヒの作品は、そんな薄暗い部屋のなかから産み出された。
フリードリヒ作品は現実の奥深くに食い込んでいく。しかもそこに感じられるのはいつも、相反したふたつの感情だ。心の飛翔と狼狽。幸福感と不安。自由と拒否。ただひたすら自然をみつめつづけたこのロマン派の詩人が人々に理解されるのには、それからさらに一世紀が経つのを待たなければならなかった。
フリードリヒ作品集(Caspar David Friedrich Collection)
http://www.geocities.com/Paris/Arc/5340/friedric.htm
(欠点→左側のフレームに作品名がずらりと並んでいます。黒地に青色文字でしかも超小。→フレームを新規ウィンドウで開ける。文字を200%に拡大する。)
フリードリヒ作品には、しばしば人間がいないか、いてもまったく孤立しているか、広大な空間のなかにえがかれたミニチュアとしてだ。たとえば「草原の朝」という作品。空と山と水。果てしなくつづく畑のなかにえがかれた羊飼いと羊の群れ。地平線。この作品は、風景とはまったく別の「瞑想する心」を象徴している。あるいは山の上にえがかれた「十字架」の作品。これはキリストが処刑されたカルヴァリオの丘だろうか?それともやっと辿り着いたパラダイス?殉教のすえに得た至福感?
フリードリヒはこころの底からクリスチャンだ。彼の自然にたいする姿勢は、「神」(宇宙)をまえにした人間の無力さだ。それでもなおかつ、人間がその宇宙の一部分であることに執着している。だから作品にえがかれた人間は、宇宙のなかでとまどいつづける人間のちっぽけさを表わしている。
フリードリヒの作品が再評価されるようになったのはドイツにおいてだった。ワシントンのナショナル・ギャラリーも、その後目をむくような高額でフリードリヒの作品を購入した。1972年には、ロンドンのテイト・ギャラリーでフリードリヒの個展が催される。1974年、モスクワ、レニングラードとつづけて、フリードリヒ生誕200年を祝う記念展示会がもよおされた。ハンブルグ、ドレスデンでも同様の催しがあった。
フリードリヒは自然と厳しく対峙し、その懐に入り込んでいく。「本当のインスピレーションは、心のなかからしか湧きあがってこない。」と言いきった。そのためにフリードリヒは薄暗いアトリエで「内なる自分」とむきあう。彼のデッサンは繊細で、しかもこころをえぐられる。パリのマレー・センターはモスクワのプーシキン美術館からフリードリヒのデッサンを借り受けたのちに購入している。
彼の手紙がまた興味深い。フリードリヒはあえて幾何学的構成をくずしている。それは光のつかいかたにもおよぶ。作品えがかれた光はけっして自然のものではない。まるで宇宙の光か、まったく異次元の物理学が支配する世界の光のようだ。
「生と死」。「希望と復活」。そこにはあきらかにキリスト教の影がみえる。しかしそれよりもはげしく感じられるのは、自然のはざまで浮き沈みする人間の謎であり、運命であり、矛盾だ。
ターナー(1775-1851)にとって自然は偉大で荘厳なものだった。人間はその次にくる。フリードリヒにとっての自然の広大さは、逆に人間の苦悩を浮き彫りにするものだった。宇宙の広大さにふさわしい心をつかみとるためには、さまざまな苦境を乗り越えていかなければならない。
13才のとき、スケートをしていたフリードリヒの足元で氷が割れた。フリードリヒは一緒にいた兄のヨハン・クリストファーに助けられたが、このことが原因で兄は死んだ。
(2000. 訳)(2002.03.20. 見直し)
※ 原著: "Il Sogno della Pittura (Marsilio)"
※ ファイル中の画像: (下) 「窓辺の夫人(1822年・44x37cm)」
トロツキーのジュコフスキー論(志田昇訳)
http://www.marxists.org/nihon/trotsky/1900/..
ワシーリー・アンドレイヴィッチ・ジュコフスキー(1783-1852)はプーシキが師とあおいでいた詩人。
■ くら〜い部屋の自己問答
■ フリードリヒの静謐
■ ホッパーとフリードリヒ(薄っぺらな比較論)
■ フリードリヒはいつの時代のひと?
■ フリードリヒの冬景色
■ 「宇宙展」(ヴェネツィア)