Staatiche Museen zu Berlin (いちばん右は Web Gallery of Art の画像)
いま上野の東京国立博物館「ベルリン至宝展」に、フリードリヒの上の3作品がきている。左から・・・「窓辺の女」「孤独な木」「海辺の月の出」。いずれも1822年の作品で、「窓辺の女」は50x30cmぐらい、あとのふたつは60x80cmぐらい。(←目測)
フリードリヒが描いたのは「孤独」じゃなくて「静謐(せいひつ)」だとおもった。
なぜって、、フリードリヒの絵のなかでは、すべてが、あるひとつの瞬間に収束している。微笑みが、淋しさが、退屈が、希望が、、世界のある一瞬の表情が、永遠に、完璧なまでに、キャンバスのなかにおしとどめられている。そしてそれはそこで息をし続け、けっして、そこから、どこにも、もれていかない。
無限に収束はしても、けっして収束するはずがない一瞬をキャンバスにおしとどめようという行為は、一種の狂気だ。しかし、フリードリヒはもしかすると、、「つぎなる瞬間が、いまこの瞬間とはまったく異なる世界」、と考えていたかもしれない。
万華鏡のように、一回一回の異なる世界が重なり合って、それが時間をなす。宇宙になる。そうだ、、そのことを証明するために、フリードリヒは、あえてある一瞬の世界の表情をとらえようとした。なぜなら、そうすることで、つぎにくる瞬間がまったくべつの世界であることが明確になる。
ある一瞬の世界の表情とは、だから「宇宙の部分」であるとともに「宇宙全体を暗示する要素」なのであり、フリードリヒ作品は、フリードリヒのそうした世界観を如実に反映している、な〜んてもかんがえられるかな。
(2005.04.11.)
※ 「カスパー」、「キャスパー」、、「フリードリッヒ」、「フリードリッヒ」、、「ダヴィド」、「ダーヴィド」、、いろいろ。
ベルリンの至宝展
http://www.asahi.com/berlin/
東京国立博物館 2005.04.05.- 06.12.
http://www.tnm.go.jp/
神戸市立博物館 2005.07.09.-10.10.
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