Ekaterina II 1729-96(在位:1762-96)
原作 アンリ・トロワイヤ(中央公論社 初版1987年)
このマンガ・・・サンクト・ペテルブルグの宮殿にあがりこんで、まるでロマノフ家の一員にでもなってコトの一部始終をながめているような、そんな気分になります〜。帝制ロシア時代についてのこんなステキな入門書は、なかなかないんじゃないかなぁ?
女帝エカテリーナ(=エカテリーナ2世)は、「近代ロシアの原型」をほぼつくりあげた。イギリスにエリザベス女王、オーストリアにマリア・テレジアみたいな、、超有名人。
1741年・・・ピョートル大帝(1672-1725)の次女エリザヴェータはクーデタによって女帝になり、ピョートル大帝の孫を継承者として呼び寄せた。このアホ孫にドイツから嫁いできたのがエカテリーナです。
1762年・・・エリザヴェータが死去するとエカテリーナの夫が即位してピョートル3世になります。でも、その年のうちにエカテリーナにおっぽり出され、エカテリーナ2世が誕生〜。
な〜んて書くと味も素っ気もありませんが、じつは、そこには、海千山千の裏話があって、マンガではじっつにおもしろい!
エカテリーナがほんとはどんなひとだったか・・・噂はいろいろですが、ロシア宮廷に入ったドイツ人エカテリーナが人並みならぬ努力をした、というのはホントみたい。
ポーランド分割を画策し、シャガールが生まれたヴィテブスクもこのときロシアに併合されました。エカテリーナの愛人ポチョムキンは、エカテリーナの政治的決断にかなり関与し、露土戦争によってロシアは南進のきっかけをつかみます。江戸時代、ロシアに漂流した大黒屋光太夫(1751-1828)をサンクト・ペテルブルグで謁見したのもエカテリーナですね。
のちに「会議は踊る(ナポレオン戦争処理のウィーン会議 1814-15年)」にロシア代表として出席したアレクサンドル1世は、エカテリーナ2世が寵愛し将来を託していた初孫で、、ほんとうは息子のパーヴェル1世ではなく、直接この初孫に帝位を継がせたかったみたい。
でもスゴイなぁ・・よく調べたなぁ。池田さんは、なんでロシアのこと、こんなに知ってるんだろう・・とおもっていたら、あっ、そっかー、原作があるんだぁ。
(以下引用)
この捉え難く矛盾に満ちたロシアの民・・・!
彼らときたら神の威光を恐れるかと思うと迷信にふりまわされる。
肉体の隷属はやすやすと受け入れるくせに魂は自由だと主張する。
温厚で従順なくせに時には狂ったように残酷になる。
戦争は嫌だと叫びながら、ひとたび闘えば気違いじみた勇敢さを見せる。
そして貴族を恨みながら主人なしではいられない・・・!
(引用おわり)
ハハハハハッ、鋭いっ。
ところで、池田さんが描くと、、髪も足も宇宙人のように長かったり、みんなことごとく麗人ですが、エカテリーナというと、トレチャコフ美術館にある肖像画(右画像:作品部分)をまず思い出しちゃう。
そういうイメージでいままでエカテリーナのことを考えていたので、池田理代子版エカテリーナのイメージはすごく新鮮でした〜!
(2003.10.27.)(2004.11.27. 見回り)
※ (カッコ内は在位年)
イワン6世(1740-41)
エリザヴェータに廃位され、6才のときから牢獄の壁だけを見て一生を終えた。
↓
エリザヴェータ(1741-62)
↓
ピョートル3世(1762-62:エカテリーナの夫)
↓
エカテリーナ2世(1762-96)
↓
パーヴェル1世(1796-1801:エカテリーナの息子)
↓
アレクサンドル1世(1801-25:エカテリーナの孫)
↓
ニコライ1世(1825-55:エカテリーナの孫)・・・・・
■ ロシアおさわがせ紳士録
■ サンクト・ペテルブルク周辺とエカテリーナ2世
■ エカテリーナの息子パーヴェル1世の肖像
■ 大黒屋光太夫&北槎聞略
■ もうひとつの池田理代子さんの本・・・『歴史の影の男たち(小学館/1996年)』・・・これはマンガじゃなくて、池田さんがマンガにした人物の写真とかが載っている。ユスーポフ、ラスプーチン、ポチョムキン・・・