「ハドリアヌス帝の回想/あとがき」より
ヴィッラ(Villa)はふつう、ある程度以上の敷地がついた豪華な別荘とか別宅のこと。ここではローマ皇帝ハドリアヌス(76-138)のヴィッラ。
マルグリット・ユルスナールは、ハドリアヌス帝が読んだとおもわれる本にことごとく精通するなど、一生をかけてハドリアヌス帝を追体験し、『ハドリアヌス帝の回想(原著1958年)』を書きあげました。この本のあとがきに、ハドリアヌス帝ヴィッラの特徴をよくとらえているとおもわれる記述がありました。
「1941年ごろ、偶然ニューヨークのある絵の具屋で、ピラネージの版画を4枚見つけ、G・・・とわたしはそれを買った。その一枚はそのときまでわたしの知らなかったハドリアヌスのヴィラの風景で、カノプス礼拝堂を描いている。・・・・・ピラネージのほとんど霊媒的な天才は、ここに幻覚と、追想の長い習わしと、内的世界の悲劇的建築を嗅ぎつけたのだ。」
(引用おわり)
ピラネージ(Giovanni Battista Piranesi 1720-78)は、古代ローマに深い愛着を示し、景観や建築などの銅版画を残したひとです。「幻覚と、追想の長い習わしと、内的世界の悲劇的建築」・・ニンゲン・ハドリアヌスを追体験したユルスナールが、どのようにハドリアヌス帝ヴィッラを感じていたのか、このひと言に言い尽くされているような気がします。
「昨日、ヴィラで、ハドリアヌスからわれわれにいたるまで、ここで次から次へと続いてきた何千何万もの沈黙する生に思いを馳せた。・・・・・ピラネージの時代には流浪の民。遺蹟の略奪者。物乞い。山羊飼い。瓦礫の片隅にどうにかこうにか住みついた農民たち。」
(引用おわり)
ハドリアヌス帝ヴィッラを、ハドリアヌスの心を通して見ていたユルスナールにとって、ヴィッラはハドリアヌスの喜び、憂鬱、悲しみすべてがそのままカタチになったものであり、それらをいまも感じさせる場所であったにちがいありません。
「オリーブの木が切られて、無遠慮な駐車場と博覧会風の売店兼軽食堂に場所をあけ、それらはポエキリウム(ギリシャ風ポルティコ)の気高い孤独を、広場の風景に一変させた。・・・・・美しい場所の均衡ほど脆いものはない。われわれが解釈に働かせる空想力は、テクストそのものを手つかずで残し、テクストはわれわれの注釈を超えて生き延びる。しかし石に加えられたごくわずかの不用意な修復、何世紀も前から草が平穏のうちに生い茂っていた野原に切り込みを入れるマカダム舗装のごくごく細い道も、永遠に取り返しのつかぬものをつくり出す。」
(引用おわり)
ここで『テクスト』というのは、あるがままのハドリアヌス帝ヴィッラのことですね。じぶんが書いた小説のようなものはヴィッラにとってたんなる『注釈』でしかなく、ヴィッラそのものは『注釈』なぞ相手にすることなく永遠に生き続けていく。しかしヘンテコな石膏のレプリカや古代噴水のまがいものは、ハドリアヌス帝ヴィッラの『気高さと孤独(!)』をまるでそこなってしまう・・と、ユルスナールは憤慨しています。
同感〜!しかし、谷崎潤一郎みたいなことをいうなぁ・・マルグリット・ユルスナールはフシギなマダムだ。
(2003.11.10.)
※ ファイル中の画像はピラネージの作品
■ ハドリアヌス帝の回想
■ ユルスナールが見たハドリアヌス帝ヴィッラ
■ ハドリアヌス帝ヴィッラ(訳)
ピラネージ作品(Web Gallery of Art)
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/p/pi..