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ミロが見た同時代の画家

Joan Miro 1893-1963

「ミロとの対話 ジョアン・ミロ/ジョルジュ・ライヤール対談集」 / 美術公論社 / Ceci est la couleur de mes reves(1977年 Paris)

ミロは同時代の画家をどうみていたか死ぬときには「くそっ」と言って死にたい、全社会にくそっ、重要でないものすべてにくそっ・・・ハハハハハッ、これ、ミロが言ってた言葉。寡黙なアーティストと言われてたわりにはけっこう過激なこと言うじゃない。

この本、同時代人の画家について、ミロの率直な意見がほうぼうで語られていて、おもしろかった。

ミロが、パリ時代からけっこう面倒をみてもらっていた先輩、ピカソ(Pablo Picasso 1881-1973)について・・

「ピカソのしたことの中で、彼がするべきではなかったとあなたが咎めていらっしゃる何かがあるようですが。(R)」「そうです。彼は何かの目的のために何かをする・・・・・これなんです。(M)」・・・・・(M):ミロ (R):ライヤール

(引用おわり)

しかしこういうピカソの一面を、いっぽうでミロは興味深い解釈もしています。

私は彼の技巧をしばしば批難していますが、しかし、人は逆に彼に技巧があるという理由で、彼に対して攻撃的にならないのです。つまりこの場合には、明日にはピカソはアングル風の絵を描くかもしれない、という期待を人は抱くことができるからです。ピカソは望み通りのものを何でも描ける才能を持っていて、そのことが、絵という商品にだまされたくないと思う人達の保証になっているのです。彼の持つ技巧上の巧さは、いわば商標なのです。

(引用おわり)

ミロが目を掛けたこともある後輩、ダリ(Salvador Dali 1904-89)について・・

ダリは頭が切れるのに、性格がそれにともなっていません。人間的なある力に欠けています。ああ、私は彼の絵には興味を持っていました、ある時期まではですが。そのうちダリは人間の持つべき威厳をなくして、急降下してしまいました。

(引用おわり)

ポロック(Jackson Pollock 1912-56)について・・・

出発点としては、とても良いと思います。しかし限られてしまっています。彼をとても尊敬しています。大好きです。しかし、あそこにとどまってはならないのです、彼自身それに気づいて自殺してしまいました。

(引用おわり)

ロベルト・マッタ(Roberto Matta 1911-)について・・・

マッタはいい意味で人を不安にする人です。彼のような画家達の反抗的な面にいつも私は打たれました。

(引用おわり)

なんとヴァレリオ・アダミ(Valerio Adami 1935-)まで出てきました。あれっ、時代がちがうんじゃないの・・?ミロはアダミと絵の交換っこをしたというのです。アダミについて・・・

とても面白いと思います、とても興味深いものです。私とは正反対です。彼は一つのテーマを出発点とします、知的なものが出発点なのです。それに、アダミの画布は建築家がするように、すべてミリ単位で決められています。彼にはバックに筆を塗るアシスタントがいます。ヴァレリオね、彼は仲々いいものを持っています、しかし私とは違う世界です。

(引用おわり)

うれしかったのは、モービルで有名なアレクサンダー・カルダー(Alexander Calder 1898-1976)とも、ミロは作品を交換してるんですね。カルダーの作品は、ミロの絵がそのままモービルになったようなかんじ。ミロはあと、カンディンスキー(Wassily Kandinsky 1866-1944)ともとっかえっこしてる。

たまに絵を交換したことがあるのであのカンディンスキーの絵がうちにあるのです。確かにあの絵を持っていてうれしいとは思っています。私はカンディンスキーをよく知っていました。私は彼の仕事に興味を持っていましたし、前にも言ったように、彼はパリに着いたとき、絵のわからないバカ者たちにひどい受け入れ方をされました。精神的な意味での輝きという面においては、彼は私に影響を及ぼしたといえます。美学という点で、彼の著書にも興味を持ちましたけれど、やはり彼という人間のはなっていた輝きにですね。

(引用おわり)

ところで訳者朝吹由紀子さんのあとがきを読んでいて、今回はじめて、スペイン人のミロがなぜ『ホアン・ミロ』ではなくて、英語読みでもあるかのように『ジョアン・ミロ』なのかがはじめて分かりました。

『Juan=ホアン』を『Joan』と綴るのも、したがって『ホアン』ではなくて『ジョアン』なのも、ミロが愛した生地カタロニアの言葉だからであり、ミロ自身カタロニア語を固持していたからなのですね。

カタロニアゆかりの画家(生まれ or 住みついた)には、上述のピカソ、ダリのほかにもタピエス(Antoni Tapies 1923-)、デュシャン(Marcel Duchamp 1887-1968)、ピカビア(Francis Picabia 1879-1953)、マッソン(Andre Masson 1896-1987)など。ピカビアはミロに影響を与えた画家で、1925年のミロの展示会をめぐってこんな一節がありました。

「1925年にすでに、中には『ピカビアのあとでは、温め直した食べ物のようだ』と言った人がいましたが、人によってはそう言うかもしれないと思ったことはありますか?(R)」「・・・・・私のほうは、1925年の展覧会のオープニングで、重要な何かが起きたという感じがしました!(M)」・・・・・(M):ミロ (R):ライヤール

(引用おわり)

このほかにも、ひじょうに信心深かったというガウディ(Antonio Gaudi 1852-1926)のことなんかもあったなぁ。こうして、ほかのアーティストたちについてミロがどのようにおもっていたかを読むと、ミロがなにを探し求めていたかがより浮き彫りにされてきます。

でもどうしてああいう作品になったのかについて、作品の造形的なイミとなると、ミロはほとんどなにもはなしていません。美術史的な必然性の部分、絵画をより自由に解き放ったという核心の部分、アーティストはそういうのを本能的に処理していて、だからじっさい言葉になるのは大好きな昆虫のことであり自然だったり・・

だーいすきな昆虫を描いてただけなんですぅ♪

(2003.10.19.)

※ こんなとこでもみられるミロの作品・・・バルセローナ空港の壁画/パリのユネスコ本部の『月』『太陽』の陶板(陶芸家アルティーガスとの共作)/バルセロナのIBMの建物/パリのラ・デフォンスの15mの彫刻(カルダーの作品と向かいあわせ)/1947年−テラス・ヒルトン・ホテル(シンシナティ)壁画

かんれんサイト

Miro Foundation(バルセロナ)
http://www.bcn.fjmiro.es/

ピカビア(オフィシャル・サイト)
http://www.picabia.com/

マッソン
http://www.connectotel.com/masson/

かんれんファイル

■ ミステリアス・ピカソ(仏映画)
■ ピカソ初期作品展(2002年)
■ ゴーキーとマッタ
■ ヴァレリオ・アダミ
■ アレクサンダー・カルダー/マルセル・デュシャン
■ カンディンスキー

BBSより

ミンチカさん 2003.10.20.

ピカソの商標のくだりが「うん、うん。そうだっ。」と感慨深かったです。

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