"Popiol i Diament" アンジェイ・ワイダ監督 / 1958年 / ポーランド
アンジェイ・ワイダと言えば、まだ共産主義圏が健在で、『鉄のカーテン』が存在していたころの映画監督だ。となると、検閲のためにさぞかしおもうように映画が作れなかっただろう、とかおもったりする。ところが・・
映画監督の目的はあくまでもひとつの作品の完成であって、あらかじめ予想される検閲にたいして単純にムキになったりはしない。たとえば・・
こんなふうに作ればここを削れというだろう・・とか、検閲官の注意をそらすためにあらかじめこんなものを入れとけばこちらにはクレームがつかないだろう・・とか、いろいろと策をめぐらせるわけ。
できあがった作品には、直接表現はされていないが暗喩的に理解できること、また逆に当局の圧力で付け加えられたような部分が、当然ある。そういうのは、たとえばワイダとおなじ場所、おなじ時代に生きていたひとたちにはすぐにピンとくる。
こうした当時のポーランドの重々しい現実があるために、『灰とダイヤモンド』のように強烈な主張を内に秘めた映画も、比較的ノッペリとした仕上がりになったりする。
しかしだからと言って、西側の映画が100%言いたいことを言っていて、その対極に東側の映画がある、というものでもない。それは程度のモンダイ。なぜなら、どこの国にも目に見える検閲と目に見えない検閲が存在しているからだ。
以前、中国がまだいまほど自由でなかったころ、ある中国人から「自由というのは相対的なモンダイでしょ。」と言われたことがある。たしかに表現の自由だけをとっても、どこの国にでもはっきり言えることと言えないことというのがある。一般的な『自由』についてはなおさらだ。
ところでポーランドは、歴史的にロシアによる支配に抵抗してきた国で、第二次大戦後にソ連を首長とする共産主義国家となったのは歴史的な皮肉。
以下は 映画『灰とダイヤモンド』のセリフから。
「この国でなにが本気だっての?気が合うからやってるだけさ。」
「灰の底深くダイヤモンドが残らんことを・・」
(2002.05.06.)(2003.04.05. 点検)