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ルネサンス時代の教皇

Photo Gallery  ・・・ ヴァティカン風景

シクストゥス4世

1471-84 Sixtus IV

メディチ家と対立してパッツィ家による暗殺事件の糸を裏で引いていたとされる。メディチ家のジュリアーノ・イル・ベッロ、シクストゥス4世の甥がこの事件の犠牲になり、さいごに両者がかたちのうえで仲直りした象徴に建てられたのが、ローマにあるサンタ・マリア・デッラ・パーチェ教会。

→ パッツィ家による暗殺事件

ローマの再整備。システィーナ礼拝堂、ヴァティカン図書館を創設・・・まあ、やり手だったってことか、、、

※ 肖像はメロッツォ・ダ・フォルリ作 Musei Vaticani

インノケンティウス8世

1484-92 Innocent VIII

ルネサンスの輝かしさにともすると隠れてしまうけど、ローマ教会はいっぽうで、さかんに「魔女狩り」もやっていた。インノケンティウス8世は「魔女狩り」の歴史における急先鋒のひとり!

すごいすごい、、「Witch Hunt」の秀逸なHP!(英語)
http://witches.monstrous.com/

アレクサンデル6世

1492-1503 Alexander VI

教皇の地位を金で買ったとか〜、、アメリカが発見されるとそうそうに世界をスペイン(出身地)とポルトガルで2分したとか〜、、名指し批判したサヴォナローラを焚刑にしたとか〜〜

かなりひとびとの憎しみをかってたみたいで、息子のチェーザレ・ボルジアとともに毒を盛られたというのは、たぶん、ジジツ。息子だけは命をとりとめたものの、ボルジア家の命運はこれにて幕。

→ チェーザレ・ボルジア

※ 肖像はピントゥリッキオ作 Palazzi Pontifici, Vatican

ピウス3世

1503 Pius III

だからさいしょからイヤだって言ったじゃ〜ん、、教皇在位26日間。

ユリウス2世

1503-13 Julius II

おそらく、、ルネサンス時代の教皇としていちばん知名度が高い、、、

サン・ピエトロ寺院再建をブラマンテ(のちミケランジェロ)に、システィーナ礼拝堂の天井画をミケランジェロに、教皇用ロッジャをラファエッロに、依頼した。

ルネサンスへの貢献度から言っても、、ユリウス2世は群を抜いている。好きだったんだね、アート。。

→ システィーナの天井画
→ フラファエッロのフレスコ

※ 肖像はラファエッロ作(1512) Galleria degli Uffizi

レオ10世

1513-21 Leo X

メディチ家ロレンツォ・イル・マニフィコの息子。メディチ家はちゃっかり教皇をだしている。ミケランジェロとはおさななじみ。個人的にはラファエッロのほうが好きだったみたい。

→ メディチ家のひとびと

ユリウス2世がはじめたサン・ピエトロ寺院再建を加速するためにに免罪符を売ったことがケチのつきはじめ・・・マルチン・ルター(Martin Luther 1483-1546)の教会批判(「95カ条の質問書」)につながった。

しかし、いまならやり手のビジネスマンかも、、?!

※ 肖像はラファエッロ作(1518-19) Galleria degli Uffizi

ハドリアヌス6世

1522-23 Hadrian VI

オランダ出身だったから?、、一連の教会批判騒動にたいして教会側のトガを認めたりしたけど、あんまし成果ナシ。

クレメンス7世

1523-34 Clement VII

メディチ家ジュリアーノ・イル・ベッロの息子。システィーナ礼拝堂の『最後の審判』をミケランジェロに依頼。 政治的には、、いろんな決断を迫られる。

フランスVS神聖ローマ帝国のイタリア戦争では、フランスを支持してハズレ!1427年、神聖ローマとスペインの連合軍によってローマが掠奪陵辱の憂き目にあったのもこのひとの時。

→ 「戦争と平和」のルネサンス

英国王ヘンリー8世(1491-1547)の再婚は、ガンとして認めなかった。結果的に、アングリカン・チャーチ(英国国教会)を生み出すキッカケとなった。

※ 肖像はセバスティアーノ・デル・ピオンボ作。

→ ヴァザーリが描いたクレメンス7世

パウルス3世

1534-49 Paul III

イギリス国王ヘンリー8世の再婚問題に、破門宣告でトドメ。

サン・ピエトロ寺院天井画、システィーナ礼拝堂「最後の晩餐」をミケランジェロに描かせた。

※ 肖像画はティツィアーノ作(1546) Museo di Capodimonte, Napoli ・・・赤と黒と白が基調色かぁ、、、


(2004.11.14.)

※ このファイル中の教皇名はラテン語読み日本語表記と英語表記です。

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