ロシア人アヴェーリンはなぜか水墨画にいたく感銘を受けた。そういうひとはアヴェーリンにかぎらず、ロシアだけでもたくさんいるだろう。そのなかでもアヴェーリンが、(先立つものがないにもかかわらず!)日本にたどりつけたのは、「アヴェーリンにそれだけ意欲があったから」かもしれない。
しかし、アヴェーリンが水墨画を独習していたのはモスクワではなく、ベラルシアのミンスクだ。いまでさえ、モスクワ、サンクト・ペテルブルグ以外のロシア主要都市のひとたちは「生きているほんまの日本人」というのを見たことがない。そういうひとたちと話をすると、「サムライはまだいるのか?」だ。
しかも、外国人との接触が極度に禁止されていた時代に、日本人と出会い、そのひとの紹介でサンクト・ペテルブルグを訪問中の日本人水墨画家にアヴェーリンが会うことができたのは、じつは、、、近代日本の初代ロシア大使(函館)で東京・神田のニコライ堂の創設者でもあるガシケーヴィッチがベラルシア出身だったことからはじまっている。歴史というのはつながってまんな〜

1956年
旧ソ連時代、軍人はエリートでよき結婚相手とされた。公に海外に出られる特権階級だったというのがひとつの大きな理由。アヴェーリンの父親が軍人。赴任先の旧東ドイツ・ポツダムでアヴェーリンは生まれている。家系はおもにロシア人だが、ポーランド人、カザン出身の母親の家系にはアジア系の血も混ざっている。アヴェーリン一家は芸術愛好家で。こどもたちはすべて音楽家、画家などになっている。
1958年
旧ソ連ベラルシアの首都ミンスクに移住。アヴェーリン2才。
1972ー76年
グレボフ芸術学校卒業
1974ー78年
ミンスク市美術専門国立第一中学校でデッサン講師。
1976ー78年
通信兵として懲兵(ベラルシア)。
1978ー85年
ベラルシア・テレビ局でデザイン担当。このころから中国、日本の水墨画の独習をはじめる。
初代ロシア大使(函館)を務めたガシケーヴィッチ(東京・神田駿河台のニコライ堂創設者)がベラルシア出身であったことから、北海道のテレビ局がミンスクを取材におとずれ、そのとき随行していた鈴川正久氏(エリツィンより友好勲章受賞)と知り合う。
1985ー90年
ベラルシア国立演劇美術大学グラフィック専攻、卒業。
1989年
鈴川正久氏の紹介で、レニングラード(現在のサンクト・ペテルベルグ)を訪問した直原玉青氏と面会。
1990年
ソビエト連邦「若者の祭典」に代表として参加。
1991年
来日。大阪芸術大学にて水墨画研修。財団法人日本南画院会長・直原玉青氏の元で修行。この時期、関西テレビ、朝日新聞、読売新聞、MBSラジオに紹介されている。
1992年
直原玉青氏より「青羅」の雅号を受ける。
直原玉青氏の弟子のひとりマイケル・ホフマンとともに大阪・京阪百貨店ギャラリーにて水墨画展。(これが、アヴェーリンの日本での最初の展示会で、20作品中18作品が購入された。)
ロシアへ帰国。
1994年
ロシア水彩画会員。これより2000年に来日するまで、モスクワを中心に展示会活動。ロシアでもっとも格式の高い「マニエージュ」にも展示され、たしかな評価を受けている。
1995年
「今日の日本」(外務省広報誌)に直原玉青氏を紹介。
1997ー2000年
「今日の日本」出版社勤務。表紙のデザインなど、雑誌の編集全般にわたって担当。
1998年
水墨画・俳画の展示会(東京)に3点出品。優秀賞受賞。
1999年
第4回国画水墨院展(東京・新宿/朝日ギャラリー)1点出品。優秀作品賞受賞。
2000年
中国の新年(春節)を祝う北京テレビ局の企画のため、モスクワにて中国人水墨画家王シューゲネンと共同制作。米国アート・デザイン社によるポスト・カードの国際展示会(ニューヨーク)に出展・印刷されている。水墨画・俳画の展示会(東京)に3点出品。優秀賞受賞。
9月、日本の国際交流基金の招聘で来日。11月、日本経済新聞文化欄で紹介される。12月、社団法人日本中国水墨交流協会(鳩山邦夫名誉顧問)展示会にて審査員優秀賞受賞。
2001年
第6回国画水墨院展(東京・新宿/朝日ギャラリー)入選。11月、社団法人日本中国水墨交流協会展示会にて審査員優秀賞受賞。(現在に至るまで通算3回、NHKのインタビューに登場している。)
2002年3月
ロシアに帰国。モスクワにて創作活動。ロシア美術家同盟会員
グリーティングカードもあるよん♪
http://sozainomori.posca.jp/?asp_id=15874