イワン・ルベンニコフ
ベラルシアは生まれただけで、すぐに西シベリア地方の町に移り住んだ。そののちモスクワで、モニュメンタリストとしての美術教育を受ける。当時の仕事は、モスクワ・マヤコフスキー博物館のファサードなどに残っている。
1983年のソヴィエト時代、フランスでの展示会に参加。以後、縁あって1990年代初頭よりフランスでの作品発表と販売が本格化。現在にいたるまで、フランス、オランダのギャラリーを中心にして積極的な蒐集と評価がなされている。
ルベンニコフのひとつのピークは、まず1995年ごろからの何年間かにあるとおもわれる。上掲の「どうぞ!」がちょうど1995年の作品。あるスタイルをとりはじめたころの作品には、ピュアーな意欲と真摯さがある。スタイルにたいするいまだ確信のなさが、ぎゃくに作家の本質をよりつよく前面におしだそうとする。必用最低限の要素で作品は構成され、おさえるところはおさえられていてやりすぎということがない。結果的に、「日本的な諦観」をおもわせるような非常に落ち着いた作風になっている。

ルベンニコフの作品を特徴づけるものに、「平面的な立体感」、「小気味よいユーモア」がある。
「平面的な立体感」についてルベンニコフはこう言う。「ロシアというのは半分アジアだ。わたしたちはおうおうにしてこのアジア的な部分を忘れている。わたしたちロシア人のなかにあるこのアジアの部分を、わたしは大切にしたいとおもっている。ロシアのなかのこのアジアの部分は、またたくましい創造性を秘めている。」
作品がみせる「ユーモア」には、フランス風の大袈裟でないエスプリが感じられる。しかしこれについて本人は、「フランス文化とはまったく関係ない。」という。「どこからこういう粋なユーモアがでてくるのか?」という問いかけに、ルベンニコフは迷うことなくじぶんの胸を指して「ここから。」と言った。
一時期、エスプリに歯止めがきかなくなったというか、この世の愉しみを味わい尽くしたルネサンス人がよろこびそうなグロテスクにすこし傾いているかなとおもわれる時期があった。しかし、ここ10年ぐらいのルベンニコフの作品ファイルをあらためてめくってみると、あながちそうでもない。むしろそういう作品もときどきでてくるといったほうがあたっている。
ルベンニコフ作品のスタイルは、ここ10年ぐらいかなり一貫している。では、おなじことを繰り返しているかというと、それはかんじない。これだけおなじスタイルで制作を続けても、そのたびに新鮮な表情を盛り込むことができるというのは、ルベンニコフが画家というより詩人であることを物語っている。そればかりではない。以前は「エスプリ」とフランス語で表現したほうがピッタリするような「すましたかんじ」だったのが、最近作になるほどロシアの民衆的な感性がほりさげられて、作品は詩的に洗練され、よりシンプルで親しみやすくなってきている。
「Art Chronika (2001/No2)」がとりあげたルベンニコフの記事
たとえばおなじ女性像でも、以前はこの世に存在しないようなグラフィック系の女性が、一部分として全体の構成に貢献していたとすると、いまはリンゴのようなロシア人のおんなのこがアイスクリームを食べていたりして、まったくそれだけで作品の表情が仕上げられ、共感のもてるあたたかいものにかわっている。(そう言えば、東郷青児などの日本人画家のえがく女性像に似ていなくもない。)
作品は、一辺が1メートル前後の大きい作品が主流。「そのほうが描いていて、手にとるような実感があるから。」作品が海外で強力にさばかれているのにもかかわらず、ルベンニコフはあえてロシアで制作している。「メシの支度をしたりするのがやってられないから。」「ボクの根っこはやはりロシアにある。」
ルベンニコフはモスクワ・スーリコフ芸大で教授をしている。また、息子がやはりアーティストの道を歩んでいるから、若いアーティストたちの歩んでいこうとしている方向についても話はおよぶ。最近の新しいアートについてルベンニコフはこう注釈した。「ロシアは、すでにゴミのなかで生活しているようなもの。さらにゴミはいらないよ。うつくしいものが必要なんだ。」