ワシーリー・ユルチク
少年時代、ユルチクはウクライナからモスクワ近郊に越して来ました。あるとき父親をたずねてきた友人がおもむろに鉛筆をとり、『帽子を被ったおとこの顔』を描きました。これがユルチクにはおもしろかった。そのひとが帰ると、ユルチクはおなじことしてみました。これでやみつき。
さらに、学校の先生がユルチクのそんな才能をひきのばしてくれました。あるときユルチクはその先生から「モスクワにはトレチャコフ美術館がありロシアの大画家たちの作品が展示されている」ということを聞きました。
もう居ても立ってもいられません。ユルチクは電車に飛び乗るとすぐさま美術館へ。すぐさまサブラーソフというロシア人画家の「カラスが飛んでいる風景」をまねてみました。少年ユルチクはそれから何度も美術館に足を運びます。
そのあとロシアでも戦争(第二次大戦)がはじまりユルチクは従軍。戦争が終わったある日、ユルチクはかつての先生に出会いました。「おいユルチク、描いてるんだろ?!」「いえ、ぜんぜん。」「そうか、、おまえにほんものの画家を紹介してやる。どうだ?」
こうしてユルチクの本格的な修業がはじまります。ユルチクと「ほんものの画家」はほうぼうに出かけて行き風景を描きました。このときの経験がユルチクの画家としてのベースです。自信もつきました。ユルチクの資質、勤勉さ、絵にたいする情熱などを考えると、たぶんかなりのレベルまでいっていたとおもいます。でもユルチクは「所詮愛好家でしかない」ストレスを感じていました。
このころのユルチクは軍事大学で教鞭をとっていました。と言っても若い青年教師です。あるとき、芸術大学が生徒を募集をしているところにたまたま行き合わせた。ユルチクはおもむろに決断。面接を受けます。
軍服姿の青年ユルチクは直立不動の姿勢で学長に敬礼。学長がおったまげて、「若い士官さん、いったいなんの御用で・・?」「あのぅ、、わたし、、プロフェッショナルな画家になりたいのですが、、」「ともかく、、作品を持ってきてください。」学長がユルチクに言いました。
それから2〜3日後、ユルチクは作品を持参。学長はたんねんに作品をチェックします・・・「コンポジションよし、色彩よし、すぐ3年級に入れますよ。デッサンだけがすこしよわいようだから、これは集中的に講議を受けるように。」
当時、軍関係者が一般の大学で学ぶことは法律で禁じられていました。そこで学長がユルチクの入学試験許可に奔走します。いったんは「OK」となって、試験の手続きにユルチクが駆けつけると、「規則上ダメ」という冷たい言葉。落胆している青年ユルチクに大学のひとがこう言いました。「若者よ、もしあなたに勇気があるなら、文化省大臣に掛け合うんですね。」
悪い冗談〜
ところがユルチクは「かけあってみよう」とおもいました。それで、大臣にはあいにく会えませんでしたが、副大臣に会えました。「ロシア帝政時代にも軍人出身の大画家フィドートフ(1815-1852)がいたのだから、いいんじゃないの。」OK〜〜〜!
ふたたび試験の手続きに駆けつけます。「副大臣が『OK』でも大臣が『OK』じゃないからやはりダメ。」こんどばかりはユルチクも落胆して兵舎に戻りました。
それから何日かしてユルチクは電報を受け取ります。「すべての許可がおりた。3日後に試験を受けるように。」ドロナワで美術史などを片付けたユルチク青年は無事合格。卒業後しばらくして士官職を投げ打ち、作家同盟にはいり、プロの画家となりました。
□ 軍人が画家になるまで
■ ウクライナ人気質かも・・